アムステルダム滞在中に泊まるホテルのすぐ横には運河があった。
もっとも運河はアムステルダム中を縦横無尽に流れているので慣れてしまえばそう珍しくもないのだけれど、初めの内はどこを歩いても運河にぶつかる街というのが面白く、地図を片手によく歩いた。
ホテルの部屋から見える運河の向こう側にはレンガ造りの家が建っていて、灯りのともった窓がいくつもあり、レースのカーテンの奥で住人が料理をしている手元だけが見えるわずかなひととき、私はスーツケースの中身を整理し終え、テレビのニュースの音声だけをなんとなく聞きながら窓辺に立ってその様子を眺めるのが好きだった。知らない誰かの日常生活。
久しぶりにアムステルダムについたその日の夜は、同僚との食事の約束もなかったので、とりあえず買い物に行こうと小さなバッグと財布だけを持ってホテルのロビーを出た。ドアマンの横には1匹の太った猫が座っていて、彼女はホテルの利用客たちにもずいぶん可愛がられていた。通りすがりに、
「ホイ」
と声をかけると、ミャと鳴いてごろりと転がりお腹を見せる。暑い夏も寒い冬もいつも必ずそうしてくれるのだ。
「ダンキュ」
と話しかけてお腹を撫でると、隣でドアマンのおじさんが少し笑った。
行った先の国の言葉を、人ではなくまず動物に向かって発してみるというのはなかなか面白いかもしれないと思い、以後、私は出かけた先の国の言葉で犬や猫に話しかけるようになった。通じているのかはわからなかったけれど、それでも慣れない国に飛び込んだ寂しさは少し薄れるのだった。
ホテルを出て右に曲がり、通りを少し歩くとアルバート・ハインというスーパーがある。ビール、チーズ、ハム、パン、サラダとラズベリー、瓶詰めのリンゴソースなどをかごに入れながら店内を歩いた。アルバート・ハインで買うリンゴソースは、分厚い豚肉のソテーに添えるとその甘じょっぱさが絶妙に美味しかった。
今、あの瓶詰めが手元になくてもなんとなく砂糖や白ワイン、バターなどでりんごを煮つめて、豚肉を焼いたところにまわしかけて軽く温めればあの頃食べていたのと大体似た料理が出来上がるのだけれど、記憶の中で食べていたものの方がもっとずっと美味しかったような気がするから不思議だ。
その晩は、チーズとハムをかじり、サラダをつつきながら何本目かのビールを空けたあたりで、いつの間にかことんと眠ってしまった。
消しそびれたテレビでは、ジェームス・ブラントが雪の降りしきる中、次々とコートやセーターを脱ぎ、ついには上半身裸で「君は美しい」と歌っていた。
翌日は、トラムに乗り、5駅ほど先のダム広場へ向かった。
昔、祖父が描いた絵と同じ場所で写真を撮ってくるという約束をしていたのだ。小学生の頃に祖父と一緒にアムステルダムへ来たことが一度だけあった。観光客で混み合うダム広場の一角、王宮と教会が向かい合うそのつきあたりに祖父のお気に入りの建物はあった。
「ここは19世紀には郵便局だったらしい」
と言って祖父はスケッチブックを取り出し、さらさらと鉛筆を走らせてその古めかしい城のような建物を器用に写しとっていった。アムステルダムの前に寄ったロンドンで脚を悪くし、「ないよりはましだろう」と適当に購入したオウムの頭が彫られたステッキをつきながら、それでも祖父は熱心に街をあちこちいつまでも見ていた。
「今度またアムスに行くからあの郵便局の今の写真を撮ってこようか」
と聞いた時、祖父はとても嬉しそうに頷いた。
彼の絵の中の旧中央郵便局というのは、大きな尖塔と窓、壁全体を覆う赤茶と白の縞模様が美しい、いかにもヨーロッパという雰囲気のネオ・ゴシック様式の建物だった。ところが、実際にその時と同じ場所に立って眺めてみると、現在はショッピングセンターとなっている19世紀の元郵便局にはMAGNA PLAZAと書かれた大きな垂れ幕が窓のあちこちに下がっている。
祖父と訪れたあの頃も垂れ幕はきっと同じようにあったのだ。けれど、祖父はそのあまりに現代的な垂れ幕の部分が気に入らず、前回はわざと自分の絵には描きこまなかったのだろう、と気が付いた。
記憶の中の景色というのはこうしていつだって少し余計に美しい。
忘れられない美味しいものときっと同じだ。何枚か写真を撮り、これを見せたら祖父はなんと言うだろうと考えながら、私は広場を後にした。
それから、トラムに乗る前にレオニダスに寄って祖父の好物のトリュフとオランジェットを買って帰ろう、と思いついた。