湯ツボにハマって、とっぴんしゃん♪


 35度のお湯に身を沈めていると、体内に凝り固まった小石のようなナニカが、じんわりと溶けていくのを感じる。
 体温に程近い、少しアルカリに傾いた、ぬる湯のラジウム泉の魔力だ。明るくてひろい浴場には、私のほか誰もいない。源泉が湯口から浴槽に注がれるやわらかい音を聴きながら、は~っと至福のため息。広い窓の向こうには、濃厚な緑が力強く広がり、時折小鳥が飛び立つのが見える。
 つい、口ずさむのは、岡林信康のフォークソング「申し訳ないが気分がいい」。つい3時間前まで、わたし(ムク)と夫(コロさん)は東京の喧騒の中にいた。

 

 

 ここ、新潟県の栃尾又温泉「自在館」は、わたしたち夫婦にとって特別のスポットの一つである。「ラジウム泉」「ぬる湯」「湯治」に、とっぷりとハマるきっかけをくれたのが、この宿なのだ。
 仕事柄、あちこちの農家さんのところを回って温泉地をよく知っているコロさん、ちょいと特異な人生のおかげでお湯にとても執着のある!私が、ご縁でめぐり合い、つがいとなってから、「温泉いきたいね」は二人の生活上の合言葉となっていた。そのなかで、”秘湯を守る会”の書籍を入手し、「この温泉ゼッタイいきたいね」と合致したのが、自在館だった。

自在館のロビー。​ゆったりと、冷えたラジウム泉や、コーヒー、野草茶等を飲んで くつろぐことができます

自在館のロビー。​ゆったりと、冷えたラジウム泉や、コーヒー、野草茶等を飲んでくつろぐことができます。

旧館の「大正棟」は、まさに大正時代に建てられた歴史を感じる建物。鍵のかからない、 昔の湯治場を彷彿させるお部屋です。(ちなみに本館は一般的な和室です)

旧館の「大正棟」は、まさに大正時代に建てられた歴史を感じる建物。鍵のかからない、昔の湯治場を彷彿させるお部屋です。
(ちなみに本館は一般的な和室です)

 40代の私、50代のコロ氏、双方それぞれに齢を重ね、それなりに細胞や内臓や骨格がきしみ始めてもいた。お付き合いを始めたころは、二人の年をあわせて2桁だったのに、いまは3桁に乗った。(JRのフルムーン切符だって、夫婦の年齢を足し算して88歳の特典なのに、それを超過している)ただでさえ、大酒飲みで、仕事だ活動だと奔走し、無茶を続けて体内宇宙をいじめてきた私(コロさんも)にとって、ちょっと足踏みをするにふさわしい時期なのかもしれなかった。

 栃尾又温泉は、そんな無茶ぶりの不良夫婦も包み込んでくれるような、穏やかな湯治場だ。開湯は8世紀半ば、宿も400年の歴史があるという。
 自在館を含め3軒の宿が、「うえの湯」「したの湯」という、源泉そのままの湯を共有している。男女入れ替え制で、午前5時から午後11時まで、湯治客は、まったりと豊かで温いラジウム泉の効能と静寂のなか、瞑想のような湯浴みを満喫できる。

栃尾又温泉は、小出駅から路線バスが出ています。約35分、終点のバス停をおりて目の前!

栃尾又温泉は、小出駅から路線バスが出ています。約35分、終点のバス停をおりて目の前!

 ぬる湯は、長湯がいい。栃尾又温泉では、「夜詰めの湯」と言われるように、長時間にわたってお湯につかることが当たり前であるようだ。私たちは、それぞれ、男湯女湯に分かれて入るので、時計を見て、「○○時までね」と確認してからそれぞれお湯を目指す。
 ここでは、たいてい1時間半を目安にする。(常連さんの中には、2、3時間お湯に入られる方も……)部屋の鍵はコロさんが持つので、彼は少しだけ早く部屋に戻るようにする。逆に、わたしは時間を気にせず気兼ねなく長湯できてしまうので、ちょっとコロさんに悪いかなとも。

自在館のロビーにある、古い時計さん。ちなみに下の時計さんは、現在時刻を刻んでいます♪

自在館のロビーにある、古い時計さん。ちなみに下の時計さんは、現在時刻を刻んでいます♪

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 ラジウム泉とは、端的にいえば、放射能泉である。このご時勢「放射能」という言葉でアレルギー反応を起こす方もいらっしゃるかもしれない。ただ、全国で、この放射能泉は大活躍しているのである。弱い自然由来の放射線が人体に及ぼす影響については、古くから医学分野で着目されてきた。
 近年では「ホルミシス効果」と呼ばれ、活性酸素の抑制、免疫力の向上、自律神経を整える等々、生きものの生体内恒常性を緩やかに応援するという、かなりありがたいお湯であるらしい。なので、ラジウム泉には、健康を気にかける方や、難しい病気を抱える方も、多く訪れている。

ラジウム泉は、吸入がメインと言われますが、飲泉も重要!「うえの湯」「したの湯」では、源泉を飲むことが可能です。

ラジウム泉は、吸入がメインと言われますが、飲泉も重要!
「うえの湯」「したの湯」では、源泉を飲むことが可能です。

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 初めて自在館を訪れてからもう5年近い歳月が流れたが、最近の私たちのお気に入りは、2、3泊の湯治コースである。夕食は、通常のコースに比べると、質素なメニューになるのだが、これがちょうどいい塩梅なのだ。
 温泉のお料理というと、お刺身にてんぷらに鍋などが定番でボリュームがありすぎて食べきれないぐらいだけれど、自在館の湯治コースでは基本的に一汁三菜プラス1品といったところ。しかし、いいお年頃の私たちには十分な量で、これでおなかがいっぱいになる。味付けも優しく、お菜も工夫が凝らされていて、いつも夕食が待ち遠しくなる。
 「舞茸のきんぴら」、「糸うりの酢の物」、「うるいの酢味噌がけ」、「山にんじんの胡麻和え」等々季節に応じた土地のものが並んだり、「なすとピーマンのじゃこ炒め」「高野豆腐の卵とじ」のような温かい家庭的なお惣菜、「さんまの蒲焼」「ブリの照り焼き」等の焼き魚……それに具がたっぷりのお味噌汁に、魚沼産のコシヒカリはおかわりし放題。これに、私は米焼酎、コロ氏は生酒を注文する。

ある日の夕食。なすみそ・春雨サラダ・肉じゃが(肉抜き)・さんま蒲焼・かきたま汁・メロン・お漬物など……

ある日の夕食。
なすみそ・春雨サラダ・肉じゃが(肉抜き)・さんま蒲焼・かきたま汁・メロン・お漬物など……。

 連泊の醍醐味は、午前中のうたた寝、そして白昼の湯浴みにビール、近隣散策等いろいろ挙げられると思うが、私たちの楽しみは、なんといってもその地の生きものたちとの出会いに尽きるだろう。コロさんは、もともとお花や樹木、畑の野菜や果樹、田んぼの稲たちを、おっとりと、かつ注意深く観察し愛でる人だった。
 だが、動物オタク? の私と出会ってからは、動物にもつよい関心を示すようになり、いまや私よりも土地の動物や野鳥を見つけるのが早くなった。タヌキやキツネ、シカ、ニホンザル等の野生動物だけでなく、飼われている犬やねこにも反応する。農家の庭先で日向ぼっこをする犬に「こんにちわー! しばいぬさん!」と、手を振りながら大声で挨拶をしたりしている。少し恥ずかしい……。

 

 


 

 


 

 

 栃尾又温泉は、人造物が乏しい山のなかにあるのだが、生きものの気配が季節を通して濃厚なところだ。冬の時期には、深い雪に閉ざされるが、早朝には、輝く雪面にノウサギやキツネ、カモシカ等の足跡がダイナミックに展開しているのを観察できたりする。
 「あれウサギさんの足跡だよね」コロさんがぼそっと言う。『でも、キツネとおぼしき中型肉食獣の足跡と接近遭遇していない?』と私。『ウサギの足跡が途中で消えて、キツネの足跡だけになっていたら、ちょっとドキっとしない?』「……」コロさん絶句。
 夜な夜な、野生動物たちのドラマが繰り広げられているのだろうなと想像するが、今、夏にさしかかる季節では、元気に繁茂する植物たちの緑の腕に隠されて、その実態はここからは見えない。でも、小鳥たちのさえずり、そしてカジカガエルの澄んだ美声が、渓流の勢いある音と共に響き渡る。いのちの連なりを、ふっと想う。

お部屋の窓から……豪雪の冬。

お部屋の窓から……豪雪の冬。

​6月は、窓からは一面緑の光景。​

​6月は、窓からは一面緑の光景。​

 夜9時半、いそいそと、「うえの湯」を目指す私。ここに至る回廊が、私は大好き。
 ミシミシとなる廊下。年季の入っているであろう敷き詰められた赤いじゅうたん。控えめに点っている灯。昭和的なほの暗い空間を潜り抜けて、静かな温かいお湯に滑り込む。なんという幸せだろう! やさしい水圧を感じながら、ゆっくりと目を閉じる。本日最後の、3度目の長湯だ。まどろみながら、誰に言うでもない「ありがとう」が湯気に溶ける。

「うえの湯」に行くときは、大正館の廊下を通ります。静かな静かな夜の気配。

「うえの湯」に行くときは、大正館の廊下を通ります。
静かな静かな夜の気配。

​夜遅い、「うえの湯」。静寂のなか。​

​夜遅い、「うえの湯」。静寂のなか。​


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