あたたかいお湯とねこと人がいるお宿♪ ~四万温泉・鐘寿館


 

 

 車の中に、新しいお友達が増えた。高速道路のサービスエリアにある「がちゃがちゃ」でゲットした、5匹の猫たちである。(「がちゃがちゃ」は正式には「カプセルトイ」という名称があることを最近知った。)
 偶然にも、全員毛色が違う。三毛、黒、茶トラ、キジトラ、白黒。近年の「がちゃがちゃ」のおもちゃは、本当に出来がいいというか丁寧に作られているものが多く、感心してしまう。しかも1回200円で楽しめるのだから、夫婦揃ってついつい夢中になる。もう十分すぎるほどのオトナなのに……。
 
 慎重に運転している夫(コロさん)の横で、私はちょっと浮かれていた。今日の行き先は、四万(しま)温泉。群馬県は中之条町の一番奥にある、自然豊かで情緒のある温泉地である。四万温泉のお目当ては、お湯の薬効もさることながら、宿。実は、「猫さんに会える宿」があるのだ。やわらかい、あたたかい、本物の猫に!

 

 

鐘寿館の外観。歴史のある優しい風情。

鐘寿館の外観。歴史のある優しい風情。

 

 

 「鐘寿館」は、私たち夫婦にとって今回が四度目。初めてこのお宿に宿泊した際、忘れられない体験をしたことが引き金となり、すっかり鐘寿館に魅せられてしまったのである。それは、他のお客さんも寝静まった真夜中のこと。それぞれお風呂を満喫して、ふたりで部屋に戻るときだった。廊下の向こうから、静かに何かが歩いてくる。
 「え? ねこ!?」、「ねこだよね!?」。確かに、それは猫だった。白と黒のほっそりした猫が、ゆったりと廊下を歩いているのだ。そして、すっと視界から消えた。
 翌朝、宿の方に尋ねたところ、数匹の猫たちがこのお宿にいらっしゃることが判明した。なんでも、すべての猫たちは、事情があって保護した猫らしい。心優しいお宿の方々が、壁に穴を開けてまで、救出した猫たちもいることを知る。以来、鐘寿館のファンとなってしまった。

 「こんにちは!またお世話になります」。ロビーでは、笑顔の従業員の方がさっそくお茶を出してくださる。そして、現れた……三毛猫さん。私たちの荷物のにおいをそっとかいで、またゆっくりと奥の事務所に戻っていく。ここの猫たちは、みんな奥ゆかしくお行儀がいい。自分の立ち位置を理解しているというか、媚を売ることもなく悠然としている。「幸せで満たされている猫たちなんだね」コロさんが納得する。

24時間入ることができる館内の露天風呂「源の湯」。

24時間入ることができる館内の露天風呂「源の湯」。

飲める温泉。ロビーに飲泉処が設けてあります。写真は、古式風呂「一乃湯」の飲泉口。

飲める温泉。ロビーに飲泉処が設けてあります。写真は、古式風呂「一乃湯」の飲泉口。

「一乃湯」は、古式風呂の中でも電気を使わずに直接源泉を注いでいるお風呂。停電になっても入れるそう。

「一乃湯」は、古式風呂の中でも電気を使わずに直接源泉を注いでいるお風呂。停電になっても入れるそう。

木造りの落ち着く「二乃湯」。窓からの微風とお湯の注がれる音が心地よい。

木造りの落ち着く「二乃湯」。窓からの微風とお湯の注がれる音が心地よい。

 四万温泉は、「四万の病を治癒する」ことからその名前がついたと言われている。飲んでも浸かっても効能がある、ありがたいお湯なのだという。肌当たりが柔らかく、澄んでいて美しい。
 鐘寿館は、お風呂が全部で9つもあり、そのうち6箇所は無料の貸切風呂である。貸切風呂のうち、3箇所は館内にあり「古式風呂」と表示されているのだが、空いていれば終日いつでも入ることができる。さらに、お風呂はすべて源泉かけ流しであるだけでなく、湯守さんが丁寧にお湯を管理しているので、季節それぞれに合わせて湯温も絶妙である。贅沢にプライベートな湯浴みを楽しむことができるのだ。ちいさな赤ちゃんがいる家族も、安心だろう。

温泉街をどうどうと流れる四万川。水量豊かである。

温泉街をどうどうと流れる四万川。
水量豊かである。

お宿の裏の、ちいさな散策道。

お宿の裏の、ちいさな散策道。

宿のそばで控えめに咲いていたつつじの花。

宿のそばで控えめに咲いていたつつじの花。

 古式風呂でゆっくりほどけた後、散歩に出る。「道中あんなに暑かったのにね」、四万温泉街は、空気が澄んでさわやかだ。勢いよく流れる四万川を見下ろしたり、軒を連ねる数あるお宿や公衆浴場を眺めたり、狭い路地を探索したりしながらのんびりと歩く。ここにはコンビニもなければ信号機もない。時折、他の宿の湯浴み客とすれ違うけれど、みんな静かにそれぞれの時空間を楽しんでいるようだ。

 

 

 ふいに、目の前を、ツイっと小さな生きものが通過した。「あ、ツバメさんだ!」コロさんが嬉しそうに叫ぶ。「あれ?声が聞こえない?」、「巣があるんだね、見てみようか」。
 お店の裏にまわると、確かにツバメの巣があった。雛たちが大きな口を開けている。その巣と雛たちの成長ぶりを見ながら、私は内心ちょっと複雑な気持ちになって、少しだけ泣きそうになった。

 ちょうどここを訪れる1週間ぐらい前だろうか。とても悲しいお知らせを見てしまった。それは、山階鳥類研究所のブログで「繁殖中のツバメの巣を壊さないようにお願いいたします」と題したものだった。
 2015年5月に、同研究所は「2011年に使用されたツバメの巣を調査したところ、全国21都道府県中、1都12県の巣から放射性セシウムが検出された」旨のプレスリリースを行った。これに対し、多くの市民から問い合わせがあったらしい。このリリースに反応して、「放射能がこわいから巣を壊す」という短絡的な思考に至る人が一部いたということなのか……。しかし、放射能のとばっちりを受けている可能性のあるツバメは、一生懸命生きている。人の事情や思惑に関係なく。彼等は何も悪いことをしていないのに(われわれ人と違って)。
 壁を壊しても、ちいさな子猫を助けようとする人たちがいる一方、ちいさなツバメが作成した巣を壊す人たちがいる。複雑な思いで、雛たちの無事を祈るばかりである。

 

 

 夏至を越えたばかりで、なかなか日は暮れない中、お湯と散歩のあとは、いやおうなしにお腹がすくものだ。今回は、お食事少なめ(さらにお肉抜き)のプランで、お宿にお願いしてある。
 しかし、十分すぎるほどの種類と量。自家製の梅酒、群馬名物のこんにゃくのお刺身、上州地粉を使用したお素麺、甘エビのしんじょ、ホタテの柳川風、そして目の前で炊き上がる釜飯等々。それに、コロさんはビールと八海山(日本酒)、私は芋焼酎の水割をいただく。

 すっかりお腹がくちくなり、少し一休みした後は、またお風呂のはしご。夜9時まで入ることができる貸切露天「山里の湯」に向かう。お宿から2~3分ほど坂を上がったところにあるこの露天風呂は、照明も控えめで静謐な空気の中にある。夜の庭園を眺めながら、二人とも無言、無音で、源泉の流れ落ちる音に耳を澄ます。

「山里の湯」の入り口

「山里の湯」の入り口

山里の湯は三箇所お風呂があり、これは一番奥のお湯。他の二箇所は岩風呂です。

山里の湯は三箇所お風呂があり、これは一番奥のお湯。他の二箇所は岩風呂です。

 静寂なる深夜。館内にある露天のお風呂も貸しきり状態で入った後、私たちのお楽しみタイムである。そう、名づけて「猫探し館内ツアー」。他のお客さんたちの迷惑にならないように、抜き足差し足でそうっと廊下を歩きながら、小さい声で「にゃ~ぉ」、「なぁ~」と猫たちを呼んでみる。「う~ん、いないねえ……」と注意深く辺りを見渡しながら、1階ロビーへ階段を降りる。

 

 

 「いました!」。みゃあみゃあさんという、鐘寿館の人気の看板猫さんだ。薄めの茶トラのやわらかい毛並みの子で、以前宿泊した際も何度も触らせていただいた。ロビーでゆっくりとおくつろぎのところをお邪魔して、「失礼します……」と撫でさせてもらう。
 静かで動じないみゃあみゃあさん。彼も、子ども時代に路頭に迷っていたところを保護された猫のひとりで、9~10歳ぐらいらしい。幸せを体ごとで知っている猫らしく、子どもに撫でられても嫌がったりはしないそうだ。どこか茫洋とした威厳すら感じる。

みゃあみゃあさん夜中のロビーにて……。すみません、起こしてしまいました。

みゃあみゃあさん夜中のロビーにて……。すみません、起こしてしまいました。

朴葉味噌

朴葉味噌

 朝、眠い目をこすりながら、食事処へ向かう。ぜんまい煮や花豆、しらす等が上品に配置されている。このお宿の朝食でとても楽しみにしているのが、「朴葉味噌」。朴の葉の上に、味噌やネギ、シイタケがのっていて、それを焼いて食べるのだけれど、白いご飯との相性が抜群で、ついお箸が進む。私は普段から朝食があまり食べられないたちなのだが、「今日はよく食べるね!」とコロさんに驚かれるぐらいだ。

 チェックアウトの時間が迫る。荷物をまとめてロビーに下りたとき、思わず、あっと叫んでしまう。白黒の猫さんが、凛とした風情で窓際に佇んでいるではないか。初めて鐘寿館に来た時に、深夜の廊下で出会ったあの猫さんだ。「お久しぶりですね」。

 

 

奥四万湖付近には、時折クマさんも出没するらしい。

奥四万湖付近には、時折クマさんも出没するらしい。

山法師

山法師

 後ろ髪を引かれる思いで鐘寿館を後にし、奥四万湖をぐるりと一周。幾種もの野鳥の声を聞きながら、深い森に思いを馳せる。「ツキノワグマさんも今は子育てで忙しいかな」コロさんがつぶやく。

 湖のほとりには、山法師の木が白い花をのびのびと咲かせていた。


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