「あっ!また種をあつめてる!」わたしの大きな声にびっくりしたのか、スイカを美味しそうに食べていたコロさん(夫)の手が止まった。コロさんの手元には、折りたたまれたティッシュペーパーが置かれている。そしてその上には、黒くてつやつやとした小さなスイカの種が静かに着地している。
今までも、フルーツを食べるたびに見せる彼の行動? 習性? が不思議で仕方がなかった。さくらんぼも、桃も、ブドウも、りんごも、いつも「食べられない種」は、ゴミ箱行きではなく、そっと別枠に保護されているのである。まるで、木の実を収集し貯蔵する、リスや野ネズミのように……。ひとには、それぞれいろんな不可思議な癖や習性があるけれど、コロさんの一連の「種あつめ」については興味深く、毎回わたしの観察対象となっている。 旅をしていると、圧倒されるような原生林や渓谷のなかに自我を忘却するようなこともあるが、なつかしい原風景ともいえる、里山に展開する田んぼや畑、果樹園を眺めながら縫うように進んでいくことのほうが多い。特に、初夏から始まる野菜や稲たちの成長ぶり、そこに飛び交う虫たちの様子を見ていると「いのちのにぎわい」という言葉がぴったりだなと思う。 今回のお出かけは、群馬県の片品村にある摺渕(すりぶち)温泉。国道から細い道に入り、ぽつぽつとある民家や畑を横目で見ながら進んでいく。群馬の温泉に詳しいコロさんも、もちろんわたしも、初めて出かける温泉だ。この摺渕温泉に、お宿は1軒しかない。山十旅館。5部屋しかないこじんまりした旅館である。
二重になっている扉をガラガラと開けて、「こんにちは~!」とご挨拶。ひょっこりと帳場から顔を出してこたえてくれたのは、いがぐり頭の赤いTシャツの少年。宿帳の記入が終わった後、ひょいとポットをかついで、部屋に案内してくれる。足元は快活に裸足だ(のちに高校1年生と知る)。おうちのお手伝いをしているんだな、と感心してしまう。
外観は民宿然としているけれど、お部屋はピカピカで広く、さらにお部屋についているお風呂も温泉! というゴージャスっぷり。しかし宿泊料金は信じられないほど安い。家族経営で、必要以上の干渉も何も無い素朴ないでたちが、とっても心地よい。まるで、夏休みに田舎の親戚のおうちに泊まりにきたような感覚だ。
「今日は、他にどなたも泊まられませんから」。赤いTシャツの少年が話してくれた。ということは、宿ごと貸しきり状態ということ?!
さっそくお湯をいただきに行く。とろとろのアルカリ性単純温泉である。手足をなでると、すべらかな感触が味わえる。このお湯で、アトピーの頑固な皮膚炎が治ったという実証があるという話を聞いた。濃厚なお湯の治癒力がうかがえる。窓の外を眺めると、ツバメが急速度で通過したり、ハチがにぎやかな音をたてて飛んでいったり。お隣の男湯から、コロさんの「あ~、いいお湯だね」というくぐもったような声が聞こえてくる。誰にも遠慮がいらないので、大声で会話を試みるが、ちょっと反響して厳しいかな。
「これは、ブロッコリー。中心部分に花芽ができて、それを頂くんだよね」「しょうが。これは秋に、根しょうがとして地下の根茎を収穫するの。春だったら新しょうが、なんだけど」「りんごさん、あ~これはね、矮化といって、幹や枝を大きく育てずに、小ぶりな木に実をたくさん付ける栽培方法なんだよね」止まらない、コロさん。
夏のひかりは、遠い記憶を呼び覚ます。小学生のころ、理科の授業の一環で、一人に1つずつ、稲の苗が植えられたパックを渡された。弱々しく見えるきゃしゃな小さな苗。この苗を各自育てて、最終的にはみんなでお米を収穫して食べるという、今思えば壮大な授業だった。しかし、こともあろうに、わたしは自分に与えられた苗を、早々と死なせてしまったのである。多くのクラスメイトは、ちっぽけな苗を立派に育て上げ、実る稲穂を満足そうに眺めていた。わたしは、このとき悟った。自分は、植物の声を聞こうとしていなかったことを。当時の家族だったインコの賑やかなおしゃべりは理解できても、声を出さない稲の静かなささやきや訴えに耳を傾けることはできなかったのだ。
いま、「いのちの授業」というものが、学校で取り組まれているらしい。ある学校では、ニワトリやブタを育てて殺し食べるという試みをしていると聞く。でも、血液が飛び散るような授業をしなくたって、一人ずつに野菜を育てさせる「いのちの授業」のほうが、のちのちじわりと効いてくるのではないのかなと思う。そう、40年近くたっても、あの「稲苗死なせちゃった」記憶で、しょんぼりしてしまう自分がそうだから……。
配膳はすべて、高1少年がてきぱきと一人で行ってくれた。コロさんが、近隣の日本酒の酒蔵について尋ね始め、少年を困らせていた。高校生に、お酒の話して、どうするんですか? コロさん!
夜は、限りなく無音に近かった。渓流の音に抱かれながら眠りにつくような温泉宿が多いなか、ここは周りが「山」と「畑」。しかも一軒宿。「カモシカやリスが現れることがある」という前情報もあったけれど、今夜はどなたも現れないかな……。
夜遅い、貸しきり状態のお風呂に入りながら、静寂のなかそっと野外の植物たちの声に耳を澄ませてみる。かつて、できなかったことを。もう一度。
朝、眠い目をこすりながらの朝食。すでに、外では、農作業に伴う機械音もしている。宿を経営するご家族は、朝早くから、お客だけではなく畑の野菜たちのお世話も忙しい。
ゆっくりと荷物をまとめながら、チェックアウト。またしても、高1少年が対応してくれる。アイスクリームを食べていたところをお邪魔してしまった。彼も夏休みなのに。
と、宿の女将さんがふっと登場された。少年のおばあちゃんだろうか。「今朝とれた野菜なんですけど、おみやげにと思って。どうぞ」。袋には、大きく太ったキュウリと平莢インゲンがどっさり入っていた。
「ほら、あれ、こんにゃくだよ」。コロさんが指差す真緑色に繁茂する植物群を見て、わたしは心底びっくりした。好物のひとつである「刺身こんにゃく」が、こんな勢いのある植物からもたらされるということに。ぷるんと涼感のある、あのおとなしそうなこんにゃくから想像できない、本来の生きものとしての迫力。
帰宅後、お宿からいただいた自家製キュウリをコロさんが切ってくれた。「見て見て! この種!」。太ったキュウリには、はっきりとした種が確かに在った。
「コロさん、種にこだわるよね」思わずぽろりと言ってしまう。コロさんは、ちょっと首をかしげて、どうしてそんなこと聞くの? という顔をした。
夏は、一瞬の景色や表情をしっかりとつかまえ、ゆっくりと過ぎていく。野菜たちも含めた「いのちのにぎわい」を抱っこしながら。