初めて訪れた釧路湿原は、2年前、秋も進んだ10月の下旬だった。ぼうぼうと風が鳴っていた。黄金色に輝く植物たちが、たおやかに風に身を任せている。誰もいない木道を、興奮して小走りに進みながら、ふと心細くなって後ろを振り返る。歩いても走っても、周囲にヒトの気配はゼロなのだ。ただ後方には、コロさん(夫)が、空を見上げながらのんびりと歩いている。
「これは現実だよね?」何度もコロさんに確かめた。「ここは、この世かな? あの世かな?」とも。「そうだねえ」とコロさん。「ここは天国かもしれないねぇ」
ヒト科生物が誰も見当たらない湿原は、青空の下、ただ風が吹き渡り、怖いぐらいに美しかった。
2015年。今回の釧路は、にぎやかだ。季節も9月の下旬。わたしたち夫婦だけではない、狐森先生(仮名)ご夫婦も一緒の4人旅である。動物の研究者である狐森先生夫妻は、北海道にゆかりのある方々で、3年前から北海道を共に旅するのが恒例となった。わたしにとっては尊敬する大切な恩師であり、年齢も我々よりも先輩にあたるのだけれど、とっても愉快で気持ちのいい、安心できるファミリーのような存在である。
「厚岸にいきませんか?」と狐森A子先生。厚岸町は、釧路からさらに東に位置する海沿いの町で、牡蠣で有名なスポットだ。「いいですね! 海も見たいし」とコロさん。釧路の前に、まずは厚岸を目指すこととなる。お昼だし、おなかもすいたし!
自分で食べたいものを選び、それをトレイで運んで、炭火で焼いて食べるという贅沢な
設定だ。土曜日ということもあり、店内は家族連れや仲良しグループで満員。わたしたちは、ひとテーブルを囲んで、それぞれ食べたいものを焼き始める。牡蠣に目が無いという狐森先生夫妻、ラッコのように貝が大好物のコロさん、真剣である。
最近、魚介類が食べられなくなっていた私なのに、驚くほどの食欲で牡蠣を頬張る。味付けもいらないほどに、フレッシュでミルキーな牡蠣たち。レモンをちょっと絞って、殻に残る汁までを飲み干す。海のやさしい香りが染み渡る。ありがとう牡蠣さん。
おなかが十分に満たされたところで、厚岸大橋を渡ってさらなる自然の中へ。狐森先生夫妻の思い出の場所を目指す。北海道大学の演習施設だ。40年以上前に、先生たちが青春を満喫した! 場所のひとつ。「こんな立派な道路、あの頃はなかったなあ」。狐森B先生がぽつり。「あの頃は、山道を買出しに歩いたものね。よくこんな道を歩いたなあ……若かったしね。学生もお酒よく飲んだね。」狐森A子先生が、ちょっと遠い目。
誰もいないかと思った古びた施設から、若い男の子が出てきた。「こんにちは! 私たち、ここのOBなんです!」と狐森先生たち。「えーっ本当ですか!」と嬉しそうな男の子。年代を大きく超えて、先輩と後輩のご対面が成立した。変わらないであろう大きな海が、40年差の北大学生たちの会談をそっと見守っていた。
厚岸には、なぜかお寺や神社が多い。ここは、縄文時代からアイヌの人たちが平和に暮らしてきた場所であるけれど、幕末から明治にかけて、和人たちが先住民族であるアイヌの人たちを、過酷な労働に追い立て、言葉も文化も奪った悲しい歴史がある。狐森先生たちがお寺に出かけたのを見送り、コロさんと私はぶらぶらと周辺を散策することにした。そして、思いもよらぬ出会いが待っていた。
「えっ!? コロさん、シカがいる!」
どうみても、普通の民家の庭先である。停まっているトラックの横に、当たり前のようにエゾシカが三頭、草を食んでいるのだ。わずか、4~5メートル先に、彼女たちは佇んでいる。その後、シカたちはちょっとだけ警戒するそぶりを見せて移動し、また隣の民家へ。ニワトリならぬ「ニワジカ」の光景は、不思議でもあったが、ここは野生動物たちの土地なんだという認識を新たにさせられた。エゾシカにすれば、「わたしたちが先住民ですが、何か?」と言いたいかもしれない。
厚岸漁港で、海を眺める。曇天の港には、さまざまな種類のカモメたちが、賑やかに飛び交い、羽を休める。夕暮れが少しずつ迫るなか、カモメをぼうっと見ていた。頭のなかには、中島みゆきの古い歌が静かに鳴っていた。
「青空をわたるよりも 見たい夢はあるけど かもめはかもめ……♪」
ふと気がつくと、後ろににこにことコロさんが立っていた。
厚岸を後にし、今夜の宿は、釧路市の市街地から離れた「山花温泉・リフレ」。釧路動物園の目と鼻の先にあり、別名は「釧路市農村都市交流センター」。研修室やリラクゼーションルーム、そして広くて明るい温泉施設を備えた、秘湯とは程遠いお宿なのだけれど。
静かな朝は、雨がお供だった。コロさんの運転で、4人は釧路市から鶴居村へ。
「あそこにいるよ!」狐森B先生が叫ぶ。タンチョウヅル(丹頂鶴)だ。「あ、向こうにも2羽!」コロさんが指差す。
白く優雅に伸びた身体、長い脚、赤い頭頂、喉元から頸そして風切羽の黒。ゆったりと羽づくろいをし、採餌をするさまは、芸術的ですらある。羽を広げれば2メートルを超える大きな鳥だ。
タンチョウは、明治時代末には絶滅したとされていた。人間による乱獲が原因とされている。だがその後、大正時代に、わずか10数羽の生息が釧路湿原で確認された。
1953年には33羽、88年には424羽。そして現在は1,000羽を超えるタンチョウが生息していると言われる。タンチョウ復活の陰には、彼等に生きて欲しいと願った人々の並々ならぬ努力があったことを想う。狐森先生たちも、数えるぐらいしかいなかったタンチョウがここまで(と言っても1,000羽だけど)増えたことに感無量だろう。
「あれ? タンチョウの群れじゃないか?」と狐森B先生。「15羽? いや16羽かな」
「15羽ですよ、Bさん」とA子先生。ええっ?私は12羽までしか数えられないけど……。「15羽ですかね」とコロさん。どうしてみんな、そんなに数えるのが早いのだ?!
「ちょっと車を近づけますね」とコロさんが、ぬかるんだ農道に車をバックで入れ始めた。と、そのとき!ガクンという衝撃が……。農道には、ひそかに大きな穴が開いていたのだった。ショックを受けるコロさん。しかし、狐森先生夫妻と私は、そんなコロさんを尻目にさっさと車を降り、靴をどろんこにしながら、タンチョウの観察に夢中になり歓声をあげていたのだった。
まだまだ、野生動物をめぐる4人キャラバンは続く……。