朝から激しい雨が降っていた。湿った生暖かい風が、時折うなりをあげる。コロさん(夫)もわたしも、そわそわと落ち着かない。頻繁に、携帯電話の天気予報サイトを見たり、テレビのニュースをつけたり。台風が接近しているのだ。
今日は、楽しみにしていた温泉に出かけるのに。「大丈夫かな」コロさんは、道の心配をしていた。今回も、例によって秘湯の旅である。山道を進まなくてはいけない。しかも事前情報で、かなり野性味を帯びた道であることがわかった。「キツネ、タヌキ、カモシカ等、獣が横断する場合もございます」と、お宿のHPでは注意喚起をしていた。
それでも、わたしたちはお湯を目指す。打ちつけるような雨のなか、慎重に進む。視界の緑が、1分ごとに濃くなっていく。雨でけむる群馬の山道は、そしてどんどん細くなっていくのだった。車内に流れるのは、エヴァ・キャシディの深い歌声。 群馬県の中央に裾野を広げている赤城山は、黒檜山や地蔵岳等複数の山頂を有する複成火山。その中腹、標高900メートルの辺りに赤城温泉がある。文献によると、奈良時代から、傷ついた野鳥や野生動物がその身を癒しにきたといわれる温泉で、明治時代にはお寿司屋さんや床屋さんがあるほどの大きな湯治場だったという。今は、三軒のみのお宿が、ひっそりとたたずんでいる。コンビニはおろか、日用品やお酒を売る店のひとつもない山の中だ。 どしゃ降りのなか、荷物をしょって長い階段を下りる。「花の宿・湯之沢館」は、赤城温泉の一番奥にある小さなお宿。にぎやかな植物のお出迎え。そして、上品な女将さんの丁寧なご挨拶が、わたしたちの緊張を一気にほぐしてくれた。
「こんな天候のなか、わざわざ来ていただいてありがとうございます」「今日は、他にどなたも泊まられませんから、ごゆっくりされてくださいね」。
鄙びた味わい深いお宿の外観からは想像できないほど、館内はきれいにお掃除され、お部屋は心地よく整えられている。お花が生けてあったり、絵皿が飾ってあったり。「どなたもいらっしゃらないので」と、女将さんは12畳の広い和室を案内してくださった。お部屋の名前は「花ぼうろ」。やわらかくてすてきな響き。
窓からは、少しだけトーンダウンした雨雲が、山々を覆っているのが見える。
湯之沢館のお風呂は、「瀬音露天風呂」と「赤城名月風呂」の2か所。日中の立ち寄り湯の時間帯は、露天は混浴、内風呂である名月風呂は男女入れ替え制となっているが、宿泊客が利用する夜間は、女性専用時間が設けられているほか、貸切が可能となる。もっとも、5部屋しかない小さなお宿なので、お客さんたちは譲り合いながらお湯をいただくことになる。 瀬音露天風呂は、名前の通り、すぐ横に天然の滝が豪奢に流れているお風呂だ。二段のつくりになっており、上段の浴槽に源泉が注がれ、下段の浴槽がそのお湯をキャッチしている。源泉は43度なので、いい塩梅にお湯が冷めて「ぬる湯」を満喫することができる。
絶え間ない雨音と滝の音が混じりあう。それを耳で味わい、ほのかな金気臭のするお湯の香りを鼻腔で味わう。カルシウムや炭酸水素が豊富な、黄褐色に変化するお湯の感触を、皮膚で味わう。良質な温泉地では、五感が奇妙なぐらいよく働くのだ。野の動物のように。
「なんてきれいなご飯!」コロさんとわたしは、心から感嘆の叫びをあげた。女将さんがお部屋に丁寧に運んでくださったお料理の数々は、秘湯の宿とは思えないような艶やかな会席料理だった。可愛らしい小さな傘、和紙で折られた鶴、お刺身に添えられたお花。
食後は、内湯に入り、浴室内に並べられている植物たちをぼんやり眺めていた。
コロさんは、植物(特に稲や野菜)を相手に仕事してきたけれど、お花が大好きだ。一方のわたしは、物心ついた頃からお花に興味がなかった。幼少時から野鳥や虫やコウモリのような小さな動く生きものに夢中だった半面、「お花なんて、動かないし食べれないしつまんない」と言ってのけ、周囲をぎょっとさせるような子どもだった。
お花がきれい、と思うようになったのは、恥ずかしながらここ数年の歴史しかない。その裏には、友人や仲間(動物を含む)の連続したライフイベント(赤ちゃんが生まれた、開業した、あの世に旅立った等々)に、お花が付き物だったことにある。花は、常にそこにあった。華やかなお姫さまのようなバラだったり、厳かなランだったり、控えめな菊だったり。いっしょに、祝ったり悲しんだりしてくれる存在が、花だった。 わたしのなかで、とりわけ心に残っているのは、コロさんが育てた夕顔。商店街のお花屋さんで、1鉢200円で夕顔の苗を買った。2年半前のことだ。猫の額ほどのちっちゃなベランダで、コロさんの夕顔育児がスタートする。(同時に、キュウリの育児も開始。)毎日お水をあげ、追肥し、夕顔はどんどん成長していった。
夏になり、毎晩、夕顔は白い清廉な花を咲かせた。小さなベランダ一面が、夕顔の王国みたいになり、一晩で5~6個の花がひらく。総数100以上の花が、咲いては散っていった。闇の中で咲く花の美しさに、ただただわたしは感嘆し、息を呑んだ。夜行性のわたしにとって、あの夕顔の花たちは、一晩ごとの心休まる友達で仲間だったことを想う。そしてコロさんの植物育児が、確かで真剣だったことも。
あらしの夜は、すっぽりと布団にもぐりこんで、優しい温かい思い出を反芻するのにもってこいの時間だ。
翌朝も、雨は変わらず降りしきっていた。ニュースでは、さらに台風の警戒を呼びかけている。「名残惜しいけど、早めに移動したほうがいいかもしれないね」とコロさん。朝食の温かい湯葉豆腐をいただきながら、風雨の音に少し緊張する。
チェックアウトしようと階下に降りると、「コーヒーを飲んでいかれますか」と女将さん。嬉しいなあ。でも、いかなくちゃ。「また必ず来ますね」このお宿が、女将さんが、お花みたいだなと、ふと思った。 花と嵐の組み合わせといえば、有名な言葉がある。「花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ」寺山修司氏の著書でわたしはこの言葉を知った。ちょっと寂しくなるような文言だ。この言葉は、作家の井伏鱒二先生が、唐の時代の漢詩を訳したものが発祥元である。
もともとの詩は、「勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離」。題名は「勧酒」! 友との別れの夜だろうか。井伏先生の抄訳では、前半は「この杯を受けてくれ。どうぞなみなみ注がせておくれ」なのだ。この詩の全貌が見えたときに、わたしはとても安堵した。かなしい詩でなかったことに。それどころか、「勧酒」「満酌」を含め、旅人同士の一期一会を連想させるような爽やかな気持ちにすらなったことに。
そして、「嵐の後には静寂が訪れる(After a storm comes a calm)」and「止まない雨はない(Rainy days never stay)」。