東北のなんでもない秋景色は、やわらかく染みる。どうしてこんなに心がひっそりと穏やかになるんだろう。安心で安全だった子ども時代の記憶がよみがえり、この世には何も怖いことも悪いこともないような気持ちになる。「おかえりなさい」と、空気に声をかけてもらっているような気分にもなる。だから、東北での用事が終わっても、ぐずぐずと「あともう1日だけいたい」と、自然に思ってしまうのが常である。 今回もそうだった。用事は終わっているのに、未練がましく、コロさんとあちこちの温泉地を「ちょっと見に行こう」となったのがきっかけだった。岩手県。「このあたりの紅葉は、茶色やオレンジがとっても綺麗だよね。赤や黄色も勿論だけど、茶色にグラデーションがあって暖かくて、ほっとするよね」と、レンタカーを運転しながら、コロさん。江戸っ子のコロさんだけれど、お仕事で全国を回って30年以上あちこちの紅葉を見てきただろう。そんなコロさんに言われると、自分を褒められたように嬉しい。宮城で生まれ育ったわたしにとって、宮城だけではない、東北には格別の思いがあるから。
今夜の列車で帰るはずだったのだ。本当は。魔の刻? はお昼だった。いつものように「おなかがすいた」を連呼するわたし。「温泉街で、お昼食べようか」とコロさん。目指したのは、鶯宿(おうしゅく)温泉。岩手県雫石町の一番奥にある、奥座敷のような温泉街。豪奢なホテルから、完全自炊の宿まで20件ほどのお宿がある、450年の歴史を奏でる温泉地であるが、温泉を見つけたのはウグイスという風流な伝説がある。
だが、いざ温泉街に着いてみると、居酒屋は発見したけれど(もちろんまだ開いていない)、飲食店が見つからない。最初は「昔っぽい喫茶店で食べたいね、トーストとか」等と言っていたが、贅沢は言っていられない。
「川長山荘さんなら、お昼ご飯食べられますよ」と、通りがかった温泉宿に教えていただいた。「すぐそこです」さっそく向かってみたところ……。
「あれ? ワンちゃんがいる」。川長山荘の入り口に、湯気のなかで静かにこちらに熱い目線を送っている黒い柴犬を発見。吠えもせず、ただおっとりとこちらを見つめている。
車を降りて、急いで近づいてみた。黒柴さんは、ちょっと恥ずかしそうにうつむき加減で、しかし「お待ちしておりました」と言わんばかりに伸び上がって顔を寄せてくる。巻き尾が静かに振られ、遠慮深くわたしの顔をそっと舐めた。「このお宿の看板犬かな?」コロさんも、黒柴さんの頭をゆっくりと撫でる。
注文したのは、和風スパゲティと、けんちんそば。両方、たっぷりの舞茸やしめじがのっていて、大変美味しかった。「ここ、落ち着くね」「ワンもいるしね」「明日休みだし」「夕ご飯はどこかで食べるとして」「うんうん」「聞いてみようか」「賛成!」。
もう、コロさんもわたしも気持ちは固まっていた。そして運よくお部屋は空いていた。
お部屋に置かれた宿の案内帳に挟まれていた「ココア通信」。あの黒柴さんは、ココアさんという名前なのだった。さっそく「ココアさ~ん!」と、コロさんが窓を開けて呼びかけている。静かにこちらを見ているココアさん。お宿の方々のたっぷりの愛情を受けて、大切に可愛がられている犬の風情を感じた。
簡単に夕食を済ませた後は、もちろんお楽しみの温泉である。お昼ごはんをいただいていた時にも、地元民とおぼしき方々が慣れた風に日帰り入浴に来られていたのを目にしていた。土地の方々が通われるというのは、いい温泉の証拠の一つでもあると思っている。
鶯宿温泉のなかでも、川長山荘のお湯は自家源泉。豊富なお湯を24時間かけ流ししている。源泉は52℃の単純アルカリ性温泉で、加水・加温もいっさいなく、湯量の調整で浴槽内は絶妙な温度のお湯があふれている。内湯は、湯温の違う檜のお風呂が2つ。塩素消毒もなく、お湯からはほんのりと硫黄の香りが上品に漂う。
誰もいない露天風呂、貸切状態である。お湯の注がれる音を聴きながら、幸せなため息をひとつ。そう、今日、わたしは東京に帰る前にどうしても行きたい場所があった。
「帰る前に、小岩井農場にいきたい」。コロさんには伝えてあった。わたしにとって、思い出の場所だった。「ぜひいきましょう」と、コロさんは快諾してくれた。
旺盛な食欲で、美味しい朝ごはんをいただき、お宿をあとにする。上品な女将さんや従業員の方々、そして礼儀正しいココアさんのお見送りつきで。「ココアさんまた会おうね。」ココアさんは、相変わらずウンともスンとも言わず、静かなる佇まいだった。「ありがとうございます」と思わず頭を下げた。
小岩井農場は、鶯宿温泉から車で30分弱にある、120年以上の歴史がある農場・牧場だ。荒れ野を開墾したところからスタートし、現在は3千ヘクタールの規模がある国内でも最大級の民間農場だと思う。紅葉をくぐりながら、道を急ぐ。
「あった! SL!」。小岩井農場の駐車場に着いて、わたしは真っ先にそれを発見した。D51の機関車につながれた、ブルートレイン。この寝台車で、まさに30年前に泊まったんだ。高校生の頃。紅葉のなか、時間が止まっているのか流れているか、一瞬わからなくなってしまった。
高校生の夏休みだった。母と二人で小岩井農場を訪れた。武骨で誠実そうなD51(デコイチ)の後ろの寝台列車は、当時「SLホテル」として活用されていた。
当時、わたしは問題な高校生だったと思う。不登校だし、挙句は「いってきます」と言って、家族に内緒で映画館やライブに出かけたり、天気がいいと公園やビルの屋上で昼寝をしたり、ローカル列車でお隣の県まで出かけたり、楽しげな不良だったのだけれど、母や担任の先生にはきっと心配をかけていたに違いない。
高校生のあの頃、わたしは「銀河鉄道の夜」と「デミアン」あたりに心を奪われていた時だった。母は、すぐにどこか心あらずになるわたしのことを思いやって、小岩井農場への1泊旅を敢行してくれたのかもしれない。
SLホテルで泊まり、子牛を撫でたり、生まれて初めて馬に乗った。満天の星空に、吸い込まれそうだった。とても静かな旅だったなと思い出深く、そして、当時うれしそうに馬にまたがっているポロシャツ姿の自分の写真を見返し、今こうして一緒にコロさんとこの小岩井農場を眺めていることが奇跡のように思うのだ。
時間は、着実に経過していく。間違いない。70年代から全国に創設されたSLホテルは姿を消し、小岩井農場のSLホテルも2008年末に廃業した。しかし、多くのSLホテルが「解体」されてしまったのに、小岩井農場のSLはちゃんとその風貌を堂々と留めている。「よかった! ちゃんと残っていたね!」コロさんがとても嬉しそうに言ったこと、それがまた嬉しさの連鎖になる。
よく晴れた日。子どもの手を引いて、農場を散歩するお父さんお母さん。いろんなアトラクションも増えて、昔の静謐な小岩井農場とは違うかもしれないけれど、古いほうの農場は相変わらず作動していて、牛たちはのんびり放牧され、羊は点在している。
そして、山々から放たれる透き通ったオーラ。これから東京に帰るんだなと思いながら、見とれる。
「すみやかなすみやかな万法流転のなかに 小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が いかにも確かに継起するといふことが どんなに新鮮な奇蹟だらう」(宮沢賢治)