おだやかに・心しずかに・ていねいに♪ オンドル自炊宿~銭川温泉


 

 
 

後生掛自然研究路の噴気。歩道の横から噴出していて、かなりの迫力です。

後生掛自然研究路の噴気。
歩道の横から噴出していて、かなりの迫力です。

 落葉がすすむ山々から届く風は、氷の粒を含んだように冷たい。11月初め、すでに八幡平の山の上は雪に覆われていた。「手袋が欲しいね」「厚手の靴下が恋しい……」コロさんもわたしも、重ね着で寒さをしのいでいたが、手足の末端はしんしんと冷える。1日ずつ、季節が進んでいくのをはっきりと感じていた。白い息が、見上げる北国の空にゆっくり消えていく。

 今日は、後生掛自然研究路をぽつぽつと歩き、噴気や噴泥に大地の躍動を感じたあと、八幡平ビジターセンターを訪れて、野生動物たちに関する展示をじっくりと見る。中でも、わたしたちの目を釘付けにしたのは、ビジターセンター前の大沼にたたずむツキノワグマの写真だった。その写真の横には、近辺のツキノワグマ出没情報が、日時や場所まで丁寧に書かれた記録が吊り下げられていた。

八幡平ビジターセンターの外観

八幡平ビジターセンターの外観
 

センター内の「ブナ林に棲む生き物たち」の常設展示。かなり凝っています……。

センター内の「ブナ林に棲む生き物たち」の
常設展示。かなり凝っています。

後生掛の公衆トイレに設置されている「熊よけ」。

後生掛の公衆トイレに設置されている
「熊よけ」。
 

八幡平にぽつんと設置された足湯。地元の方とおぼしきおじさんがのんびりと浸かっていらっしゃいました♪

八幡平にぽつんと設置された足湯。
地元の方とおぼしきおじさんがのんびりと
浸かっていらっしゃいました♪

 「クマさんたち、もう寝ましたか?」おっと、唐突にコロさん。「いえ、まだ寝ていませんね。11月中は起きていますよ。」ビジターセンターのやさしそうな職員のお兄さんが、答える。ツキノワグマはもう冬眠したかどうか、というのは、野生のクマが気になって仕方ないわたしたちには、重要なテーマなのだった。

 道中、注意深く、左右の森に目を向ける。黒っぽい切り株がクマに見えたりもする。「いい森だね、クマさんたちも今年は木の実けっこう食べれてるかな」。コロさんがつぶやく。気温は3℃。

銭川温泉

銭川温泉


やまなしの実♪

やまなしの実♪

少しだけ、紅葉の名残り……。

少しだけ、紅葉の
名残り……。

 銭川温泉。ずっとわたしたちが惹かれていた一軒宿の温泉である。お仕事でも、玉川温泉湯治でも、何度もこのお宿の前を通過してきた。国道から逸れて山道を降りていく宿なのだが、周囲に人造物は何もない。ぽつんとたたずむ、世俗から断絶されたような静謐な温泉だ。まだ、少しだけ紅葉の名残。そしてお宿の前には、やまなしの実。

オンドルでぽかぽかの、きれいなロビーです♪

オンドルでぽかぽかの、きれいなロビーです♪

4畳半の暖かいオンドル部屋です♪

4畳半の暖かいオンドル部屋です♪

そして、二組の布団。

そして、二組の布団。
 

 「わ~あったかい!」宿に入って、思わずひと声。帳場でチェックインしたあと、館内とお部屋を案内いただく。ぽかぽかに暖かいその理由、それは、温泉熱を利用した天然の床暖房「オンドル」のお宿だからなのだった。冷え切った身体が、足元からの温熱でどんどん緩んでいくのがわかる。

 お部屋は、四畳半のオンドル部屋。余分なものは何もない。ちいさなちゃぶ台。ふとん一式。荷物を置くための棚。ござの上に座ると、じわじわと熱が伝わってくる。暖房器具は何もないのに、部屋全体に暖気がいきわたっている。

静かな廊下。スリッパがあるのが在室されているお部屋。

静かな廊下。スリッパがあるのが在室されているお部屋。

 すでに、日帰りや湯治のお客さんたちが、お部屋で休んでいるようだった。廊下を歩くと、部屋の前に置かれたスリッパが「今ここにいますよ」と小声の主張。寝息も聞こえてくる。静かだけれど楽しげな話し声も聞こえてくる。お部屋は個室だけれど、大きな声は禁物。みんな、それぞれの「安心な冬眠穴」で静かに過ごしているのだから。

落ち着いた共有スペース。

落ち着いた共有スペース。
 

あざやかで独創的な、ナナットさんのトート展☆

あざやかで独創的な、
ナナットさんのトート展☆

 コロさんと、お宿内探検に出かける。ロビーの横には、本を読んだりコーヒーを飲んだりできる談笑スペースがあるのだけれど、ここでは、ちょうどトートバッグ展が行われていた。ナナットという長野の5人組クリエーターズユニットが仕掛けた、手作りのトートの展示だった。どのトートも個性的で愛情がこもっていて、手に取ると体温が伝わってくるように感じる。物を大事にしている人が作る物は、生きものみたいだ。
 その下には、本棚がある。何冊かを借りて、お部屋で読むことにする。

湯治客用の貸切のお風呂「瀬煮川の湯」。

湯治客用の貸切のお風呂
「瀬煮川の湯」。

 まだ明るいうちに、お風呂。ここには、男女別の浴場がある他、湯治客用の貸切風呂がある。お風呂の前にスリッパがあれば、「入ってます」の合図。ちょうど、誰もいないようだ。いそいそとお風呂の準備。
 改装されて、きれいな木枠のお風呂に、源泉がこんこんと注がれている。2つの源泉がブレンドされているらしい。アルカリ性でメタホウ酸を豊富に含む91℃の「トロコ観測井」、そして炭酸水素を含む単純泉、55℃の「銭川温泉」。浴槽ではちょうどいい塩梅の湯温となり、さらりとした疲れないお湯だ。広い窓からは、湯気のなか、冬枯れた森に色づいた木々が点在するのが見える。

お風呂からの景色もきれいです!

お風呂からの景色もきれいです!

 さて、銭川温泉での醍醐味のひとつ。それは「自炊」である。共同の炊事場で、湯治客は譲り合って、それぞれお料理をこしらえるのだ。「混まないうちに、つくっちゃおうよ」と、コロ板長。炊事場には、常連さんか長い湯治のお客さんの名前が入った包丁やまな板、調味料がある。それらを避けて、お宿の調理器具や食器をお借りすることに。
 鹿角の市街地で買ってきた、野菜たち。わたしたちは、今回、秋田名物の”アレ”を作ることに決めていた。にんじん、ごぼう、ねぎ、きのこ群。小さな炊事場に、いい香りが漂い始める。「こんにちは」と、他の湯治のお客さんが、冷蔵庫にビールを取りにくる。冷蔵庫も共有なので、みんなそれぞれの食材を分かりやすい形で貯蔵している。

自炊のための炊事室です。

自炊のための炊事室です。

ガスコンロは、みんなで譲り合いながら使います♪

ガスコンロは、みんなで譲り合いながら使います♪

秋田産のお野菜たちです♪

秋田産のお野菜たちです♪

さてさて……♪

さてさて……♪

きりたんぽ鍋です♪

きりたんぽ鍋です♪


500円の半自炊セット!これだけでも十分お腹がいっぱいになります☆

500円の半自炊セット!これだけでも十分お腹が
いっぱいになります☆

 できあがったのは、きりたんぽ鍋。本来なら比内地鶏が入るのだろうが、野菜だけのシンプルなお鍋である。さらに、このお宿には、半自炊セットというメニューがある。予約の時に、これを一つ注文しておいた。玄米ご飯、お味噌汁、野菜の小鉢2つ、お漬物、で500円。小鉢は、たっぷり薬味の乗ったお豆腐に、味の染みたレンコンのきんぴら。買ってきたお酒も進む。4畳半のオンドル部屋の、ちいさなちゃぶ台でコロさんと向かい合って食べるご飯は、本当に美味しかった。

 満腹で、さらに暖かで、ふ~っと一息ついたあと、男女別の浴場に出かける。湯治のお客さんたちは、夜も早い。音をたてないように、そうっと廊下を歩く。

貸切状態の大浴場!

貸切状態の大浴場!

 

 

シャワーのお湯も温泉という贅沢。

シャワーのお湯も温泉という贅沢。

 静かなお風呂には誰もいなかった。ちょっと窓を開けると、外気温の冷たさに驚く。冬がくるんだな、と改めて感じながら、窓から漆黒の闇を眺める。今、この瞬間も、キツネもタヌキもノウサギも、みんな一生懸命生きていることを想いつつ。

すっかり夢中になって読んだ「Re:s」という雑誌のバックナンバー。東京に戻ってから、思わず取り寄せました。 (でも、多くが在庫切れで本当に残念)

すっかり夢中になって読んだ「Re:s」という雑誌のバックナンバー。東京に戻ってから、思わず取り寄せました。
(でも、多くが在庫切れで本当に残念)

ハンガーも丁寧で……かわいいです♪

ハンガーも丁寧で……かわいいです♪

 

 

 しんしん更ける夜。お酒をのんびり飲みながら、何もないお部屋での楽しみは読書。コロさんもわたしも、お宿の本棚から借りてきた本をしずかに読み続ける。
 わたしが夢中になったのは、「Re:S(りす)」という雑誌のバックナンバー。『駆け足な世の中が ぽろぽろと落としていった 大事なものを ひとつひとつ拾いあげていく そんな雑誌を つくろうと思います』と、誌面にあった。2006年から2009年まで創られていたその雑誌には、「すいとう」「フィルムカメラ」「ワープロ」「物々こうかん」等のトピックがちりばめられていて、若い世代が丁寧に生活や土地を見つめている感じに、とても感銘を受けた。

 世の中は、どんどん速くなっていくなと感じる。メールがインターネットが携帯電話が普及し、今や最速リニアの建設すら浮上している。でも、速い時代をほんとに手放しで喜んでいいのだろうか。
 手紙を書いたり、家電話の留守電にメッセージを残したりしていた頃、こんなに「追われる」感じはなかったと思う。間合いや余韻といった、きれいな時間の観念が失われてしまうようで、ちょっと心細くなる。わたしも時代に巻き込まれながら生存している人間の一人であるし、便利さの真っ只中に暮らす者であるのだけれど。さらには「ていねい」という概念と真逆な人生を突き進んできたような気がするけれど。だけど、ていねいで、安らかなものは、心を静かに深くする。深夜、みんな寝静まって、カタリとも音がしない。オンドルの温熱のおかげで、ぽかぽかと暖かい布団の上、コロさんもいつのまにか夢の中。おやすみなさい。

畑のキャビア「とんぶり」がたっぷり!

畑のキャビア「とんぶり」がたっぷり!

朝の半自炊セットです♪

朝の半自炊セットです♪

 清清しい朝は、半自炊セット朝バージョンで始まった。とんぶり(畑のキャビアと言われる黒いつぶつぶ)のたっぷりかかった納豆が食欲を増進させる。「トート、買っていこうね」「あのフェルトの手作りの小物とかも」と、昨夜からコロさんと盛り上がっていた。「ありがとうございます」と、チャーミングで快活な女将さん。透き通るような笑顔の物静かで美しいお嬢さん。家族経営の宿とあったけれど、ここにはやわらかで透明な女性エネルギーが満ちている。うらやましいぐらいに。療養のお客さんたちも、安心して長期滞在できるだろうな。何人かのお客さんを見送った後、彼女たちは、てきぱきと掃除をしていた。清潔な暖かいお宿に、次のお客さんたちを迎えるために。

買っちゃった! てづくりトート。大きいほうがコロさんの。小さいほうがムク用です♪

買っちゃった! てづくりトート。大きいほうがコロさんの。小さいほうがムク用です♪

ハンドメイドの暖かさが伝わる、小物たち……♪

ハンドメイドの暖かさが伝わる、
小物たち……♪

湯治部の案内図。

湯治部の案内図。

 「なんだろうね、この感じ」「安心でやさしい巣穴にいれた感じがしない?」「礼儀正しいタヌキさんとか、泊まりにきてそうだよね」「でも、あのお宿のひとたち、相手がタヌキでも当たり前に丁寧にもてなしてくれそう」「うんうん」「タヌキさんに出す半自炊セットとか、メニュー何だろうね」「う~ん、甘い柿の実とか柔らかく煮たうどんとか?塩分超控えめで」「卵とか落としてあったりする」「タヌキさんの支払いは、やっぱり木の葉だったりするのかな……」と、勝手なことを言いながら、銭川温泉を後にする。

 厳しい冬、ヒトも、冬眠する動物も、冬も起きている動物も、みんな安全にしずかに暮らせますように、と祈りつつ。

 

 


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