犬への愛情、オーバーフロー♪な秘湯宿 ~裂石温泉・雲峰荘


日本秘湯を守る会の本。現在180軒程の湯宿が会員となっています。

日本秘湯を守る会の本。現在180軒程の湯宿が会員となっています。

 「旅人の心に添う、秘湯はひとなり」
 1975年に創立された、日本秘湯を守る会のキャッチフレーズであり、理念でもある言葉だ。
 そもそも、「秘湯」という言葉はこの会が創った造語なのだという。造語といえば、すっかり浸透している「野鳥」も、日本野鳥の会の創始者である中西御堂先生の創った言葉である。「秘湯」も「野鳥」も、魔法みたいにいい響き!
 
 冬の青空は、どこまでも澄み渡り、心がどこかに持っていかれそうだ。日本秘湯を守る会の会員宿である「裂石温泉・雲峰(うんぽう)荘」は、新宿から電車で1時間半の塩山駅からバスで20分強の場所にある。都会からこんなに近いのに、本当に「秘湯」なのかしら? という疑念も、道を進む中あっという間に吹き飛んでいく。
JR塩山駅から仰ぐ、青空と山々♪

JR塩山駅から仰ぐ、青空と山々♪

春を待つ果樹たち。

春を待つ果樹たち。

 桃やブドウ等の果樹園も、今は葉を落としひっそりとしている。手入れをしてもらいながら、冬をじっと耐え春を待つ果樹たち。ほどなく山の風景に移行する。思いのほか、ぐんぐんと高度が上がる。
 「こんなにのぼっていくの?」
 「大菩薩峠の登山口なんだよね。標高けっこう高いと思うよ」
 若い頃に山登りをしていたというコロさんは、感慨深げにハンドルを握る。

このゲートをくぐって向かいます。

このゲートをくぐって向かいます。

雲峰荘の建物。

雲峰荘の建物。

 たどり着いた雲峰荘。午後2時なのに、斜めに差し込む冬の太陽が、木々や造形物に長い影をつくる。「もうすぐ冬至だもんね」。わたしたちにとって2015年最後の温泉が、ここ雲峰荘なのだった。今年もお世話になりました、コロさん!

玄関の横で、ひなたぼっこするワンたち。うず高く積まれた薪がすごい!

玄関の横で、ひなたぼっこするワンたち。うず高く積まれた薪がすごい!

雲峰荘の玄関です。

雲峰荘の玄関です。

 14室だけの、山に抱かれたこじんまりとした1軒宿。玄関に回ると、横から、うぉんうぉん!と力強い吼え声。黒光りした、ラブラドールとおぼしき大型犬が2頭、そして柴犬系の雑種のような茶色い犬が1頭、日向ぼっこをしているのを見つけた。高く積まれた薪のお隣で、こちらを注意深く見ている。
 「はい!おじゃまいたします!」

囲炉裏のある、暖かなロビーです♪

囲炉裏のある、暖かなロビーです♪

 お宿に入ると、囲炉裏が暖かく迎えてくれた。そして、従業員の方の気さくで親切な対応。囲炉裏の横には、野菜たちがたくさん置かれている。「これは、うちの農園でとれた野菜なんですよ」。お芋やら葉物やら、大根、かぶ。
 「美味しそう!」仕事上、野菜にはマニアックなこだわりのあるコロさんも嬉しそうな笑顔を見せる。

自家農園の野菜たちが販売されています♪

自家農園の野菜たちが販売されています♪

買いました♪ 美味しそうな、かぶ!

買いました♪ 美味しそうな、かぶ!

居心地のよい、おこたのあるお部屋です。

居心地のよい、おこたのあるお部屋です。

 通されたお部屋は6畳間で、本館の脇にある離れだった。畳にこたつ。十分すぎる快適な空間だ。荷解きをしながら、ガラガラと窓を開け、透き通った冬の空気を思い切り吸い込む。

 裂石温泉は、千二百年前に行基が修行していた際、落雷と共に大きな岩が真っ二つに割れ、その間から湧出したという伝説を持つ歴史ある温泉であるそうだ。さらには、十一面観音が、割れ目から出現されたというお話も。雲峰荘は、行基が開創した雲峰寺の裏湯とも呼ばれるそうだが、のどかな山郷の湯というよりも、どこか荘厳な気持ちすら覚えるのはそのせいだろうか?
 雲峰荘には、男女別の内湯、混浴の露天風呂、宿泊者専用の貸切露天風呂がある。まずは、源泉に浸かれるという内湯を目指す。内湯には、大浴場と小浴場があり、時間帯で男女交代制になっているのだが、今の時間は女湯は小浴場のほう。

 ごつごつとした肌の花崗岩を眺めながら、加温した湯が満ちた浴槽で十分体を温めた後、26℃の冷たい源泉浴槽にそろりと入る。「わ~気持ちいい!」PH9.9の強アルカリ性の源泉は、キリっと冷たいけれどとろりとした触感で包容力がある。すっぽりと入っているうちに、体の毒素が抜けていくような、肩に入った力が抜けていくような不思議な感覚だ。そして入っているうちに、26℃という温度であることを忘れてしまう。源泉と加温泉の交互浴を満喫し、お部屋に戻る。

小さいほうの内湯。左の小さいほうが26℃の源泉、右の大きいほうが加温浴槽。

小さいほうの内湯。左の小さいほうが26℃の
源泉、右の大きいほうが加温浴槽。
 

源泉浴槽には、「ゆっくりお入り下さい」って書いてあります。冷たいので、ゆっくりゆっくりと……。

源泉浴槽には、「ゆっくりお入り下さい」って書いてあります。冷たいので、
ゆっくりゆっくりと……。

 食事前に、貸切のお風呂も入ろうと欲を出す。名物であるらしい混浴露天の横に作られた貸切風呂は、手作り感が伝わる木のお風呂だ。一人でのんびり入るのにちょうど良いサイズ。
 冬枯れた山の斜面を眺めながら、そして眼下に横たわる渓流の音を楽しみながら、2015年をやわらかく振り返ってみる(反省をしつつ……)。

貸切風呂の外観。ちいさくてもすごい存在感!

貸切風呂の外観。ちいさくてもすごい存在感!
 

貸切風呂の前にある札……方言!(札をひっくり返すと、標準語の説明があります)♪

貸切風呂の前にある札……方言!(札をひっくり返すと、標準語の説明があります)♪

手作りの、木造の味わい深い貸切の浴槽。

手作りの、木造の味わい深い貸切の浴槽。
 

こじんまりの貸切風呂を独泉して、山の空気を満喫……♪

こじんまりの貸切風呂を独泉して、
山の空気を満喫……♪

ふきのとう、うど、こごみ、わらび……と山菜三昧の先付。

ふきのとう、うど、こごみ、わらび……と山菜三昧の先付。

 夕食は、本館の大広間。10組ほどのご家族やご夫婦が、リラックスしながらめいめいお食事を進めている。甲州といえば、ワイン! ここ雲峰荘では、入手しづらい美味しい土地のワインを安価で提供してくださる。「ではソレイユ甲州・シュールリー熟成、辛口白をグラスで」「あっわたしは、ルバイヤート甲州、辛口白を……」。(全部500円前後という安さです)
 先付は、ふきのとうの白醤油漬、こごみの甘味噌、わらびの酢味噌……と、地の山菜が並び、そして自家農園で採れた野菜をふんだんに使用したメニューの数々。すっかり満腹となり、ペースを落としながら、箸を運ぶ。ごちそうさまでした。

岩魚と甲斐サーモンのお刺身、煮物、大根葉のごはん。全部、地のものです。

岩魚と甲斐サーモンのお刺身、煮物、大根葉の
ごはん。全部、地のものです。

そして、山梨といえばほうとう!かぼちゃや野菜のたっぷり入った、太めのうどんのお鍋です。

そして山梨といえばほうとう!かぼちゃや野菜のたっぷり入った、太めのうどんのお鍋です。

雲峰荘に保護された、ぎんさん。玄関ですやすや……と。

雲峰荘に保護された、ぎんさん。玄関ですやすや……と。

あっ起こしちゃった……ぎんおばあちゃん、ごめんなさい。

あっ起こしちゃった……ぎんおばあちゃん、ごめんなさい。

 ふらりとロビーに足を向けると、記帳した時にはいなかった存在が。かなり高齢とおぼしき、柴犬が安らかに寝息を立てている。「ぎんばあちゃんって書いてあるよ」コロさんが注意深く、ケージの上に貼られた説明書きを読み上げる。
 「あ、捨てられたワンちゃんなんだね」
 「ここのお宿で保護したんだ」

 おとなになってから、車で置き去りにされていたのを、雲峰荘が保護した犬だった。なので、年齢は不詳。毎日、社長さんと自家農園に出勤していることなども、綴られていた。
 「玄関の脇にいた、黒いおっきな子達も、もしかして何か歴史があるんじゃないかな」
 お宿に入るときに、吠えられたけれど、明日ちゃんと挨拶をしようね……とコロさんと話す。ぎんさん、起こしてしまい、ごめんなさい……。

朝ごはん。きれいです♪ 卵は、鶏さんの福祉に配慮された極上の卵。

朝ごはん。きれいです♪ 卵は、鶏さんの福祉に配慮された極上の卵。


大きなほうの内湯。左の広い岩風呂が源泉、右の浴槽が加温浴槽。

大きなほうの内湯。左の広い岩風呂が源泉、右の浴槽が加温浴槽。


ここでは源泉に入りながら、飲泉できます! 花崗岩に見守られながら。

ここでは源泉に入りながら、飲泉できます! 花崗岩に見守られながら。

全国に愛飲者がいる、雲峰の霊泉。

全国に愛飲者がいる、
雲峰の霊泉。

 翌朝も、雲ひとつない青空に恵まれた。地産地消の美味しい朝ごはんをいただき、さっそく内湯に向かう。今度は、女湯が大浴場なのだった。昨晩、コロさんから「あの大浴場はとっても広くて、源泉も飲めるよ」と聞いていたので、楽しみにしていた。
 貸切状態の大浴場は、左手に大きな源泉26℃の岩風呂があり、右手に加温した浴槽がある。花崗岩の無言の迫力、注がれる源泉の静かな音。窓から差す冬の光のなかで、水蒸気がきめ細やかに漂う。
 裂石温泉の源泉は、「雲峰の霊泉」としてペットボトルで販売されるほど、全国に愛飲者がいると知った。糖尿病、肝障害、アトピー等の患者さんたちが飲み続けて、改善(血液の生化学検査でのデータからも証明されている)をみているケースも少なくないという。
 源泉に浸かりながら源泉を飲む。ゆっくりと体内に浸透していく水の分子に感謝をしながら……。

コロさんに甘える、保護犬のらんさん(右)と、その娘のさくらさん(左)。

コロさんに甘える、保護犬のらんさん(右)と、その娘のさくらさん(左)。

寝床を、毛布でていねいにつくるのが印象的だった、チャコさん。

寝床を、毛布でていねいにつくるのが印象的だった、チャコさん。

さくらさんは、やきもち焼き屋さん? 寂しがりやさん? なのかな……。

さくらさんは、やきもち焼き屋さん?
寂しがりやさん? なのかな……。

 お宿のチェックアウト時間は午前11時。まだ時間がある。迷わず、あの玄関横の犬たちに会いにいくコロさんとわたし。野太い声とは裏腹に、人懐こくて愛嬌のある方々だった。やはり保護犬であるラブラドールの「らんさん」は、穏やかなお母さん犬で、コロさんにぐいぐいっと頭や体を擦り付けて甘えている。
 「らんさん」の子どもの「さくらさん」は、ちょっとやんちゃっぽい目をしているけれど、わたしが撫でる手を止めると、がしっと力強いお手をして、ナデナデを催促する。手前にいる「チャコさん」は、あごをなでるとちょっと目を細め、遠くを見ている。

雲峰荘さんが救った犬猫たちの一部。ほかにも多くの捨てられた犬たちをレスキューし、里親さんを探されてきました。

雲峰荘さんが救った犬猫たちの一部。ほかにも多くの捨てられた犬たちをレスキューし、
里親さんを探されてきました。

 お宿の帳場には、犬猫里親探しのための募金箱が控えめに置かれていた。お宿の女性に聞くと、募金だけではなく、遠く離れた保護犬たちのための藁や物資も送っているそうだ。そしてもちろん、お宿自体が、捨てられる犬猫の里親探しを行い保護をしてきているお話も聞く。
 生きものを虐待したり捨てたりするのも人だけれど、一方で生きものを救おうと奮闘するのも人なのだ。

冬の斜面に、季節はずれの桜草が咲いていました。

冬の斜面に、季節はずれの桜草が咲いていました。

 

 

 雲峰荘を後にしながら、結婚後幾度となく繰り返した問答を再び……。
 「ひとって、本当にいいものなのかな」
 「うん、きっとね、きっと人はいいものだよ」とコロさん。

 日本秘湯を守る会の創始者である、故・岩木一二三氏は、40年前に「何時の日か人間性の回復を求め、郷愁の念に駆られ山の小さな温泉宿に心の故郷を求め、本当の旅人が戻ってくる。旅らしい旅が求められる時代が来る」と語ったそうだ。
 これは正しい予言だったのではないか。大きな温泉観光旅館よりも、心のこもった小さな宿を巡る人たちは、きっと今増えていると感じるからだ。
 秘湯は、自然環境あってこそ。そして、人情があってこそ、と生意気にも思う。
 雲峰荘みたいに、生きものへの愛情が「かけ流し」で「オーバーフロー」している秘湯、ずっと続いていってほしい。お湯に宿に寄り添う旅人は、その温かさを決して忘れないから。

 

 


同じ連載記事