「大切なことは、出発することだ」。アラスカで長きに渡り野生動物たちや広大な自然を撮り続けてきた、写真家の星野道夫さんの言葉である。若かった二十代の頃、星野さんの撮る写真や美しいエッセイに魅了され、そして励まされてきた。今も、星野さんの放つ一言一言は、水晶のように透き通り、そして鮮烈に心に響く。
「また来ちゃったね」「うん、また来ちゃった」
「かなわないよね」「うん、かなわない」
意味不明のやりとりを交わすコロさん(夫)とわたしは、北の大地にしっかりと足底を着けて、どこまでも広い青空を見上げていた。
北海道、津別町。羽のように軽やかな雲が、青空にアクセントを添えている。30度を超える暑さなのに、不快感はまるでない。ただ太陽の光線が、痛いぐらいに肌に刺さる。
ウグイスが、名前のわからない鳥たちが、にぎやかに囀っている。東京を出発してから、どのぐらい時間が経っただろう。「出発してよかった」。心からそう思う。 奥屈斜路温泉の一軒宿「ランプの宿・森つべつ」は、津別町中心部から25キロ離れた奥地にひっそりと佇んでいる。周囲に人造物はことごとく無い。なので、「あっ! お酒を買い忘れちゃった!」なんて時には、30分かけて車を走らせないといけない。携帯電話の電波も、微妙である。そんなことが、なんだかうれしい。
前回、森つべつを訪れたのは、芳醇の秋だった。色づく木々の葉、散策路に不意打ちのように現れる大きなキノコ。のんびりと草をはむエゾシカの親子。控えめなバードテーブルに訪れるゴジュウカラやコガラたち。道に現れる可愛らしいシマリスたち。
そして今回は、見える景色がまったく違うことに、単純に驚くコロさんとわたしだった。
森つべつの向かいには、「ノンノの森」という認定森林セラピー基地がある。森林セラピーとは、医学的な証拠に裏付けられた森林浴効果を指すそうで、漠然とした「きもちいい~」感覚だけでは基地認定されないことを知る。心拍数、血圧、唾液アミラーゼ等の測定で、「効果が科学的に立証される」場でないと認められないそうである。
ノンノという言葉は、アイヌ語で「花」。6月末のノンノの森は、まさにその名前にふさわしい、お花の祝福でいっぱい満たされていた。
くりん草(九輪草)。ここは、くりん草の天然自然の群生地なのだった。6月中旬頃から、赤紫色の可憐な花を咲かせるこの植物は、とても姿勢がいい。すっくと背筋を伸ばし、原始の森のなか、いのち満開といった風情だ。小川が清らかに流れる音が心地よく、そして植物たちの織り成す香りに圧倒される。「呼吸がらく!」「ほんとだ、肺が喜んでいる感じ」
1か月も、マイコプラズマ感染症(オリンピックが行われる年に大流行する呼吸器疾患だそうです、皆様もお気を付けください)で、ゲホゲホしてきたわたしたちにとって、ノンノの森のそよ風は、神様からの贈り物のように染みた。
お宿でのお部屋は、快適な8畳間の和室。チェックインを済ませて少しくつろいだ後、野外の誘惑に正直に! 外出をする。体内のナニカが、黙っていないのだ。「出発しよう!」と。そして、夏空の下、森がそっと呼んでいるような気がする。「おいで」と。 取りつかれたように外の散策を開始すると、そこにはとんでもない出会いが待っていた。
チロンヌップ。アイヌ語で、「どこにでもいる生きもの」。小学生の頃、わたしはこの生きものに夢中になった。初めて心をもっていかれた、哺乳類。キタキツネ。
キタキツネのお母さんと子どもたちが、ころころと戯れているのだった。今年の春に生まれた子たちだろうか。二匹の子ギツネたちは、ほんわかとした赤毛に包まれ、健康そのものといったオーラに包まれている。限りなく優しい目をして見守る、お母さんギツネ。
近づきすぎてはいけない。距離を置いて、シャッターを押す。ファインダーの中のキツネたちは活発で、望遠モードではすぐにぶれてしまう。やんちゃに組み合う子ギツネたちを見ながら、「お母さん、心配だろうね、この子たちのこと」と、コロさんが親目線でつぶやくのだった。
チロンヌップが、本当にどこにでもいるかというと、現代事情はそうでもないらしい。研究者の狐森先生夫妻が「昔は、本当に多かったのにね。見なくなってきたね。」と以前話されたのを思い出す。個体数が減っているのであれば、それは誰のせいなんだろう。人間という生きもののせいだとしたら……内臓がズンとするような気持になる。どうかどうか、いつまでも、北の大地を翔けていてほしい。心から願う。
日が落ちてくると、お楽しみは夕餉である。
「ワクワクするよね!」とコロさんと食事処に向かう。じゃーん! まずは、カリフラワーのムース。あまりの美味しさに、コロさんの分もちゃっかりと頂戴した。「どうぞどうぞ」と笑顔のコロさん。前菜三種、餅の巾着煮と津別産のお豆たち、お造りや海鮮鍋、と、どんどん供されるお食事に舌鼓を打ちながら、ほろ酔い加減で明日の旅程を語るコロさん。そうだ、出発したからには、次の、まだ見ぬ未来の道程を模索しなくてはならないのだった。でも、どこか夢心地の、頼りない自分……。デザートのクリームブリュレは、甘いものに興味のないわたしでさえ、ノックアウトされる美味しさだった。ごちそうさま。
森つべつにおける、大事な楽しみの一つ。それはもちろん温泉。奥屈斜路温泉の唯一の湯処である。
PH9.5を誇るアルカリ泉は、肌にまとわりつくような存在感である。日帰り入浴でも大人気であることから、大浴場は塩素殺菌・循環ろ過を余儀なくされているが、貸し切りのお風呂は源泉かけ流し。熱めのお湯は、汗腺に働きかけて、しっかりと汗をかく。夏本番に向けて、汗腺を鍛えるべく、お湯に出たり入ったりを繰り返す。出た後は、津別のおいしい水で身体を潤す。
この夜は、満天の星空が広がっていた。人間の気配がまるでない。「かなわないなあ」と、ぽつりとつぶやく。なんにもない。なんにもなくて、すべてある、そんな感じ。
朝の陽ざしは、窓越しに「今日も暑くなりますよ」と告げているかのごとき。バイキングの朝食で胃袋を満たし、わたしたちはまた出発をする。「お世話になりました、次はぜひ冬に来たいです」と、フロントのお兄さんたちに伝えた。旅支度を整えて、コロさんがアクセルを踏む。次の時空へと。
北海道。小学生のときに、初めて飛行機に乗って訪れたのがこの地。北にばかり憧れた。二十歳の時に初めて一人で海外に飛び出したのも、アラスカ。貧しいバックパッカーで、安売りの食パンとピーナッツバターでしのぎながら、デナリ国立公園に足を踏み入れた。偶然に出会った、星野道夫さんを思い出す。控えめな語り口と笑顔と、温かい握手を思い出す。星野さんは、カムチャッカで、ヒグマに天界に連れていかれたけれど、彼の遺したものは永遠にわたしたちの心を打つのだろう。
何も遺せないかもしれない、小さな自分を想う。でも、いま、ここに生きているということ、コロさんと旅をしているということ、野生動物たちや植物たちに教わること、それが、本当にどうしようもなく、自分にとっては真理であると思っている。次の目的地はまだわからない。
「僕たちが毎日を生きている瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしのなかで、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい。」(星野道夫さんの言葉より)