「こぎつね、こんこん山のなか~♪」「夕焼け小焼けのあかとんぼ~♪」車中で、さまざまな童謡や唱歌を熱唱する、コロさんとわたし。
車の窓は今閉めているので、誰にも聞かれる恐れはない。そして車窓からは、稲刈りを終えた田んぼに、たくさんのスズメたちやカラスが降り立っているのが見える。
「一気に秋になったね」ほんとうに。秋が至るところに満ち、微笑んでいる。
新潟県十日町市。山間部に広がる「棚田」(山間部等の傾斜地に階段状につくられた田んぼのこと)と、里山がおりなす優しい原風景。「へぎそば」と呼ばれる、ふのりをつなぎに使った独特の美味しいお蕎麦や、「大地の芸術祭」が行われ、点在する現代アート等でも知られる魅力的な地だ。そして、湯力のある温泉たち!
何度かコロさんと十日町エリアにはお邪魔しているのに、一度も温泉に入ったことがないことに気付く。この近隣エリアで「大事な用事」が生じたら、必ず泊まりたい温泉があった。それが、今まさに向かっている、松之山温泉である。
「日本三大薬湯」の1つに名前を連ねる松之山温泉。他の2つの温泉地(兵庫の有馬温泉、群馬の草津温泉)に比べれば、お宿は10軒余りしかなくこじんまりとした温泉地である。 それでも、数ある温泉地の中から「日本三大」に選ばれるのだから、これは只者ではないのだろう。古い家屋や、農作業をする老夫婦や、広がる田畑をぼんやり眺めるうちに、松之山温泉の看板が見えてきた。そして、程なく、今夜から2泊お世話になる「野本旅館」の建物も。 「こんにちは~、増熊です」と声をかけると、メガネをかけた旦那さんが登場。
「あれ? 今夜9時ぐらいに到着って言われてませんでしたっけ?」
「あ、すみません! 先にチェックインしてから出かけようと思って……」
「いえいえ、大丈夫ですよ、もうお部屋準備できているから」
にこやかに、お風呂や朝ごはんの説明をしてくださる。そして、案内された旧館のお部屋には、いつでも眠れるように、布団をすでに敷いてくださっていたのだった。
「明日は本館の部屋に移っていただくので、荷物は少なめにしておいたほうがいいですよ~」とも。はーい。
一服お茶を飲んだところで……「さ、ムクさん、出かけようか」と、いつになくスピーディなコロさん。いつもなら、ここでゆっくりと温泉モードでくつろぐところなのだが。
「いきましょういきましょう!」とわたし。そう、これからわたしたちは、まさに今回の旅のメインイベントの1つに参加するという大事なミッションがあるのだった。
「狐の夜祭り」。今回のわたしたちにとっての「大事な用事」は、このお祭りなのだった。今年で28回目を迎えるというこの夜祭りは、高柳町(現 柏崎市)に古くから伝わる「藤五郎狐」の伝説にちなんで始まったものだそうである。松之山温泉から高柳町までは車で約30分ほどだ。
狐のお面をつけた参加者たちが、暗い山道を提灯を手に、集落から集落まで1時間以上歩くという地域のお祭りだ。このお祭りの存在をわたしたちはたまたま新潟を訪れていた時に地元のフリーペーパーを見て知り、「いつか参加したいね」と話していた。そして念願かなって、今年の参加となった。狐の行列への参加は、体力的に厳しいかなと思い断念したものの、行列を早々と待ち構える狐として参加することになった。 狐たちが到着するメイン会場には、すでに地元の人たちがお店を出し、食べ物のいい匂いが立ち込め、そして小さな地域のお祭りの暖かい空気が、充満している。地の野菜がたくさん入ったおつゆ、蕎麦稲荷(稲荷寿司のご飯の代わりに蕎麦が入ったもの)をいただいて、いざ、狐行列が到着する参道?! へ向かう。 小雨のなか、じっと行列を待つ、大勢の人たち。橋の両側にはかがり火が燃え、道端には灯りが点々とともっている。どのぐらい待っただろうか。笛の音が遠くの暗闇から聴こえてきた。「来るよ、来るよ!」みんな一斉にカメラを構える瞬間。
狐たちは、ゆっくりとやってきた。狐のお面をつけ、白装束で。神々しく、しかしどこか親しみを込めて。夢中でシャッターを切るのだが……「あれ?全部ブレちゃう……あ、暗すぎて、ストロボないとダメなんだ!」焦るわたし。「ストロボってどうやるんだっけ? あ~わからない~きいいっ! きーっ!」「ムクさん、落ち着いて……」。そして、150匹近い狐たちは、粛々と道を進み、無事に会場に到着したのだった。
その後は、「長老狐」からのありがたいお言葉があったり、昼間に作られた畳1枚分もある大油揚げが会場の全員にふるまわれたり、和気あいあいとどこかユーモラスにお祭りは進んでいった後、会場は再び暗くなり、クライマックスの「狐の踊り」が始まった。
中央に焚かれた火のもとに、1匹の白装束の狐が提灯を持って現れる。さらに、狐は数匹に増え、現代風の音響の元に静かに踊る。わたしたちは、ただただ魅入られていた。目の前の幻想的な狐たちに。そして、このお祭りに参加する笑顔の地域の人たちの力に。
わたしたちの身近に存在する稲荷神社。江戸時代には商売繁盛の神様として崇められたが、実は元々は、農耕の神様としての狐信仰がベースとなっている。田畑の作物や保存食を荒らすとされたネズミや野ウサギの天敵であったキツネは、農業を営む人々にとって、豊穣をもたらす神様だったという。
同時に彼らは、人を化かしたり、小さないたずらを仕掛ける里の隣人のようなものだった。事実、狐を題材とした昔ばなしは、全国各地に数多く存在している。人が狐を敬っていた時代、人が狐と知恵比べをしていた時代。そんなことが当たり前だった時代が、今は遠いことにあらためて気づく。
「ああ、参加して本当によかったね」「コロさんありがと~!」暗い山里の道を用心深く帰路につく。「野生動物の出没時間帯突入です。気を付けて……あっ!」「あっ!横切った!」わたしたちの車の前、20メートル先を、低姿勢でのそのそと横切ったのはアナグマだった。さらに、また今度はタヌキが横断した。夜8時すぎの人気のない道路。人間の棲み処だけではない、ここには同じ時空を生きる様々な動物たちの棲み処でもあるのだ。
祭りの後は、淋しい気持ちになるというけれど、今日のわたしたちは違う。この後、温泉を堪能するという、あらたなイベントが待っているのだから。
野本旅館の温泉は、男女別の内湯がひとつずつ。多くの宿泊者も寝静まり、それぞれ貸し切り状態でお湯を堪能した。700年前に、鷹が傷を癒していたのを村人に発見されたことから開湯に至ったという松之山温泉。農家さんも湯治しながら、お米をつくってきたのだろうな。もしかして、きつねも湯治したのかしら。
想像以上の薬湯であることを体感して、部屋に戻り、布団に潜り込む前に、少しだけ晩酌。例によってコロさんは日本酒、わたしは焼酎だ。
「子どもたちとか、若い人もたくさん参加していたよね、お祭り」
「地域の人たちのお祭りなんだろうけど、思ったよりもすごい参加者の数だったね」
「ねえ、本当に、あの参加者……みんな人間だったのかな」
コロさんが、ぽつり。えっ?!「もしかして、あの中の狐装束の人とか、お店の人たちとか、、何人かは……」
「きつね!?」「うん、きつねだったんじゃないかな」
ええっ?! そんなこと言われると、目の前のコロさんも人間じゃない気が……。
秋の夜は更けていくのだった……。(つづく)