松之山温泉がある、十日町市まつだいエリアは、ただ居るだけでのびやかな気持ちになる。そして同時に、どこかに必ず優しい異次元があると信じていた、子どもの頃の確かな感覚がよみがえる。草間彌生さんの壮大な作品の横で、1両しかないローカル電車が静かに過ぎていく。
わたしなんか足元にも及ばないほど巨大な、稲わらで作られた牛が、澄んだ目でこちらを見る。並べられたさまざまな大きさの倉庫も、この土地特有の「かまぼこ型倉庫」にちなんだ立派な作品。
里山の優しい空間に、あらゆる素材で出来上った、国籍も多様なアーティストに創られた作品たちが、居場所を確立させている。人工物であるはずなのに、とても自然に、周囲の風景に溶け込んでいるのだ。作者に、集落の方々に、いのちを吹き込まれて。 野本旅館、2日目。狐の夜祭りの余韻と、夜遅く入ったお風呂の薬効で、どこか朦朧としている朝のわたし。一方で、朝から生き生きと快活なコロさん。「新潟のお米は、さすが美味しいね」とニコニコと朝ごはんを食べている。わたしも一口。
「あっ美味しい!」
「ところで、今日はどうしよう」「どうしましょうかね」
「まずはご飯食べて、お風呂入ってから考えようか」 午前中のお風呂の魔力は、格別である。クリアにお湯を堪能できるし、清々しい気分を存分に味わうことができる。松之山温泉は、ジオプレッシャー型温泉と呼ばれる、全国でも地質学的に珍しいタイプの温泉だそうだ。
1200万年前の化石海水が、地中から噴出するというもので、ちょっと舐めると、濃い塩分と苦みが強烈である。NaClだけではない、カルシウムやメタホウ酸が豊富で、重厚なお湯なのだ。湯上りも冷めにくいのは、昨夜も体験したが、もっとたくさんの微量元素が寄り添いあって、薬湯を作り上げているのではという印象を受ける。 お湯から上がると、「増熊さん、今日は別のお部屋ですよ」と野本旅館の仲居さん。そう、今日は旧館のお部屋から、本館のトイレ付きのお部屋にお引越しをさせていただく。早々と掃除を済ませてくださったらしく、さっそく新しいお部屋に通された。
「う~ん、ここでのんびりしていたい気もするけど」「せっかくだから出かけようね」とコロさんと声を掛け合い、根っこが生えないうちに、お外へと繰り出した。 松之山温泉近辺には、現代アートだけではなく、古い建立物も多い。市の指定文化財でもある「大棟山美術博物館(坂口安吾記念館)」や、百年前のケヤキ造りの家である「松之山郷民俗資料館」では、どっぷりと歴史や文化に浸ることができる。
大地の芸術祭の拠点でもある、「まつだい農舞台」や「森の学校キョロロ」や、あちこちに点在するオブジェや、そしてもちろん基点ともいえる「棚田」や「美人林」(ブナの原生林)なども入れると、とても1日では消化しきれない出会いがある。
そんな中、コロさんとわたしの心をとらえて離さなかった、ある展示があった。
「絵本と木の実の美術館」。廃校になった小学校において、絵本作家の田島征三さんと、鉢集落の皆さんが一緒に作り上げた、大きな空間絵本である。いくつもの教室のなかで、最後の在校生や、学校にすみつくオバケたちが、彩られながらダイナミックに生き生きと躍動していた。「学校は空っぽにならない」廊下に貼られた小学校の年表には、地域の方々の思いが感じられ、空っぽどころか、子どもたちやオバケたちのにぎやかな笑い声が聞こえてきそうなほど。常設の空間だけでも、相当に幸せな衝撃を受けたのだが、これだけにはとどまらなかった。
美術館の1階に降りると、期間限定の特別展が行われていた。田島征三さんと中里絵魯洲さん、2人の作家のコラボレーション、「みえないいと」。奥の作品から、順々に見ていった。
静謐な空気のなかで、鼓動しているような呼吸しているような作品たち。空間そのものに吸い込まれそうになりながら……ある作品群の前で、わたしたちは動けなくなってしまったのである。
「クマだよ!」「クマさんだ」「熊地蔵菩薩って書いてあるよ……」
真っすぐに虚空を見つめる、鉄や真鍮で制作された神々しいクマの像のそばには、お札の束が置かれている。熊地蔵菩薩のタイトルの上には、「熊たちにとって、人間は恐ろしく野蛮な生き物である」とも。その横には、仰向けになったクマの像、そしてその横には羽の生えたクマの像。中里絵魯洲さんの作品たちだ。 呆然と立ち尽くすわたしたちの元に、美術館のスタッフのお兄さんが人懐こい笑顔と共に現れた。「このお札、なんだと思いますか?」「クマさんたちへの追悼でしょうか……」ぽつぽつと、コロさんが答える。
「そう、このお札は、1年間に狩猟や駆除で殺される日本のクマの数といっしょなんです」
お兄さんは、まさにこの小学校を卒業した地元の方らしいのだが、クマの抱えるつらい現状について、ていねいに話してくださった。目の前のお札4500枚には、4500頭のクマたちの魂が込められている……。わたしたちは、静かに手を合わせた。
田島さんも中里さんも、東京都の日の出町でのゴミ処分場問題で、闘ってきた芸術家だ。
急増する東京都多摩地区の人口、そしてそこから出るゴミ、廃棄物の処分場を、豊かな自然の森のなかに作ることについて、抵抗してきた多くの人たちがいる。トラックやブルドーザーの前に立ちはだかり寝転がったり、音楽を奏でたり。二人の芸術家は、パワーショベルにぶら下がったらしい。
森の動物たち、小さな虫たち、植物たち、みんな、どうやって生きて行けばいいのか。
人類の功罪は大きい。わたしも含めて。
静かな気持ちになって、表に出る。「あ、ヤギさんだ!」コロさんが嬉しそうに指さす。
そこには、雨宿りで小屋のなかにいる、3頭のヤギが静かにこちらを見ていた。みんなに可愛がられているヤギたちは、オーラも穏やかに感じる。コロさんが「めぇ~~」と呼びかけると、ちょっと控えめに、小さな声で答えてくれたヤギがいた。お母さんヤギかな。
「月の闇がつなぐ苔と、ヤギと、鉄鉱石と、風と、ヒトと、」
さまざまな命たちが紡ぐ、静かな世界、そしてわたしたちには解けないかもしれない暗号、読めないかもしれない地図。いま、なんだか自分はとても謙虚な気持ちで、廃校(いえ、いのちを吹き込まれた美術館)に、コロさんと一緒に立っている。しっとりとした小雨が、すべてを慈しむように降っていた。 苔と鉄でできた「Greenman」、のびやかに背を伸ばす「美人林」。いろんな命に会えたね、とコロさんと話しながら、出会った小さなアマガエル。雨のなかで、何を感じているのだろうか。アマガエルの見る世界に、彼の夢のなかに少しだけ潜り込みたい気持ちになった。
あ、でも。
「動物たちの 恐ろしい夢のなかに人間がいませんように」(川崎 洋)