ソトノミスト「椎名町・トキワ荘」をゆく。


 本日のソトノミストは、西武池袋線「椎名町」で電車を降りた。
 「椎名町」は豊島区の中心部「池袋」の隣の駅で、大正13年の開業。歴史のある駅も、数年前に大規模な改築工事が行われて真新しく生まれ変わった。

  

  

 実は、ソトノミストの高校時代の最寄駅がここだった。そこで懐かしく界隈を散策してみたいと思ったのだ。

 新しくなった改札を出ると、右手にガラス張りの展示スペースがあるので近づいてみる。「豊島区ゆかりのマンガ家、よこたとくお」と書いてある。
 これは漫画のギャラリーだ。漫画家のプロフィールと、いくつかの原画の複製が展示されている。

  

  

 じっくりと拝見する。昔懐かしい感じの、ほのぼのとした絵のタッチが味わい深い。展示物は定期的に入れ替わるらしい。利用客にも、漫画ファンにも嬉しいこの椎名町ギャラリー。

 

  

  

 南口の階段を降りようとすると、今度は特大のポスターが目に飛び込んでくる。
 「ようこそ! トキワ荘のあった街 椎名町へ」と題字があり、その下には木造アパートに群がる漫画のキャラクターたちや、漫画家たちのイラストが描かれている。

 もちろん知ってますよ。「鉄腕アトム」は手塚治虫。「サイボーグ009」は石ノ森章太郎で、「ドラえもん」は藤子不二雄ですよね。爆発的ギャグ漫画の赤塚不二夫も。
 でも、「トキワ荘」って何でしょう?
 漫画ファンの方から大きな溜息が聞こえてきそうな質問なのかも知れないが、判らないときは調べ歩きが一番。という訳で、今日はトキワ荘を訪ねてみよう。

 階段を降りると、トキワ荘をPRした掲示板があったので読んでみる。
 「トキワ荘とは……昭和27年12月、豊島区椎名町五丁目(現・南長崎三丁目)に棟上げされた木造2階建てのアパート。手塚治虫をはじめ、昭和を代表するマンガ家が若手時代に暮らしていました。昭和57年、老朽化のため取り壊され……。」

 なるほど、トキワ荘は昔の漫画家たちが住んでいたアパートだったようだ。建物は現存しないが、最近「豊島区トキワ荘通りお休み処」という施設が近所に出来たらしい。
 入館無料の施設では、トキワ荘関連本やマンガの閲覧、グッズの購入もできるとある。無料という言葉に弱いソトノミスト。足はすでにそちらへ向いていた。駅から住宅地を練り歩くようにして、「豊島区トキワ荘通りお休み処」を目指す。

 

  

  

 路地を歩いていると、お散歩中の猫と何度か出会う。
 猫が気ままに歩いている街には、彼らが日常的に利用している隠れ場所や、家と家との境に細い抜け道があったりする。そして、そんな路地裏歩きは忘れていた子どもの頃の冒険心を思い出させてくれる。
 さまざまな音が聞こえてくる。誰かが洗濯物をはたく音、流しで食器を洗う音、テレビの野球中継――。
 見つかるものも色々だ。玄関先に開いて干してある傘。路面にチョークで描かれた子どもの落書き。置き去りにされた三輪車。人びとの生活感の感じられるこんな路地があることに安心する。

 途中、どこからともなく焼魚の匂いがしてきて、腹が減っていたのを思い出す。目的地はもうこの辺りのはずだが、その前にどこかで腹ごしらえをしよう。
 

  

  

 ちょうどいいところに中華料理屋の看板が見つかる。「松葉」というお店だ。
 見れば店の入り口に漫画のコピーが貼ってある。しかもラーメンを食べている漫画のシーンだ。これはきっと、トキワ荘に住んでいた方が描いたものなのだろう。
 引き戸を開いて店内へ入ると、「いらっしゃい!」と声が掛かる。テーブル席に腰掛けて、ラーメンを一杯注文する。
 店内を見渡せば奥の壁一面にサイン色紙が並んでいる。有名な漫画家たちのものなのだろう。さすがはトキワ荘のお膝元。
 おや? 「冷やし中華はじめました」の張り紙だと思ったら……、「チューダーあります」と書いてある。でも、チューダーって一体何だろう?

 やがて、「おまちどおさま!」の声とともに運ばれてきた一杯のラーメン。
 湯気の中のチャーシュー、メンマ、ワカメ、ゆで玉子、ネギ……。素朴な彩りが食欲に火をつける。
 「ズルズルッ!」箸で麺をつかみ、口へ運んで一気にすすり上げる。ふと、食べながら眺めるサインの中に、「ンマ~イ!」と書いてあるのを見つけた。これもトキワ荘と何か関係があるのだろうか。

 昔ながらのラーメンの味に舌鼓を打つ。ンマ~イ! あっという間に完食。ダシの効いたスープも飲み干してしまうほど旨かった。
 お冷を一口飲んで、お勘定を済ませる。さて、行こう。

 

  

  

 ラーメンの「松葉」と、「豊島区トキワ荘通りお休み処」は目と鼻の先だった。
 この施設、レトロな外観だが全体がリフォームされているようで綺麗だ。昔は何かの商売をやっていたような感じのするこの建物。
 引き戸を開けて、入らせて頂くとする。「おじゃまします」と言うと、「こんにちは」と声が帰ってきた。奥から、この施設の係員と思しき笑顔の素敵なマダムが近づいてくる。
 「こちらの施設へは初めてでいらっしゃいますか」と、声を掛けてくださったマダム。トキワ荘のことはご存知でしたかと聞かれ、「いいえ」と正直に答える。

 「そうですか。それでは少しご説明いたしますね。昔この近くにトキワ荘というアパートがありまして、そこで手塚治虫先生や藤子不二雄先生といったマンガ家の方々が住んで漫画を描いておられた時代があったんです。」
 平日の昼下がりということもあってか、ソトノミストのほかに客人の姿は見当たらない。その分、丁寧な対応をしていただけてありがたい。奥にはもう一人、係の人がいるが書類か何かに目を通している。
 「こちら1階では、トキワ荘に関連のありますマンガ作品を自由にお読みいただけます。また、オリジナルグッズなども販売しております。」

 ここには、たくさんの本が収められた書架があり、閲覧スペースもあって、まるで図書館のような空間である。2階には、トキワ荘の時代に使われていた展示物や当時の写真もあるという。勧められるままに、トキワ荘と書かれた茶色いスリッパで急な階段を上がる。当時のトキワ荘も、1階の共同玄関に下駄箱があったのだそうだ。

 

  

  

 2階に上がると突如現れるトキワ荘の部屋に驚かされる。聞けば、当時を再現したこの部屋は、漫画家としては手塚治虫先生の次に入居した寺田ヒロオ先生(愛称、テラさん)の部屋なのだそうだ。テラさんは、のちに続いて上京し入居してくる若き漫画家たちのリーダー的な存在だったのだそうだ。

 テラさんの部屋をじっくりと拝見。四畳半の部屋にタンス、戸棚、本棚があり、座机の上には漫画製作の道具が整然と並んでいる。ソトノミストが気になったのは、ちゃぶ台だ。飲み食いした後なのか、その途中なのか、食器や箸、コップ、古い瓶などが置いてある。焼酎とサイダーの瓶が意味ありげに並んでいるので、「お酒も飲まれたようですね」と聞いてみる。

 「はい、テラさんが考案したとされる「チューダー」という、焼酎をサイダーで割ったものを皆で飲んだりもされていたそうですよ。」
 さっきのラーメン屋の張り紙、「チューダーあります」を思い出してそのことを話すと、「松葉」はトキワ荘の皆に愛され、今でもファンの方が通うお店だと教えてくれた。さらに、藤子不二雄の漫画の中でいつもラーメンを食べている「小池さん」というキャラクターが、鈴木伸一という漫画家がモデルだということも。

 次々に驚きの事実が知らされるではないか。小池さんって、パーマ頭に眼鏡をかけて、口が波線のおじさん、ラーメン大好き小池さんですよね? あの小池さんも松葉のラーメン食べたんだなあ……。
 そんな感慨に浸りながら、貴重な展示品をいろいろと見せていただき、説明を聞きながら楽しい時間は過ぎてゆく。

 ほかの客人の来館もあったりで、少し忙しくなった係の方たちに礼を言い、お休み処を後にする。隙間なく引き戸を閉めて外に出る。ああ、昭和30年代から平成の世に戻ってきてしまった――。

 ちょっと歩いて見つかったコンビニに入り、ペットボトルに入った小さな焼酎とサイダーを買い求め、目星を付けていた駅のそばにある「椎名町公園」へと向かう。
 

  

  

 たどり着いた「椎名町公園」。しばし園内を見渡してから、隅っこのベンチに腰掛けるソトノミスト。
 最近購入し常備していたマイタンブラー(落としても割れないトライタン製)に、焼酎とサイダーを注いでチューダーを作る。
 

  

  

 さあ、一人チューダー・パーティーの始まりだ。
 さっき、お休み処で見た「まんが道」を突っ走る若者たちのモノクロ写真。夢に燃えたあの眼差しが忘れられない。
 漫画文化の大きな礎となる作品群を生み出した当時の漫画家たち。そのエリート達が暮らしたトキワ荘に、乾杯!

 


同じ連載記事