本日のソトノミストは、都電荒川線(東京さくらトラム)の鬼子母神前を降りた。
かつては都内を多路線にて展開していた都電路線の中で、唯一残っているのがこの都電荒川線。
都電路線は、最盛期の昭和30年頃には40もの運転系統を稼働させていて、一日に175万人が利用する日本最大の路面電車だった。地元の古い方から都電にまつわる話が聞けたのでご紹介。
「都電富坂線の大曲んところの安藤坂(伝通院へ向かう急勾配、急カーブの坂)ね、あそこなんかちょっと雪が降って乗客が多かったらもう登んなくてね。砂撒いて皆で押したりなんかしてさ」
見ず知らずの人同士の連携でもって物を動かす、そんな心熱くするような光景が昔はあちらこちらで見られたのだろう。多少不便な世の中の方が、人として他者との繋がりを強く感じられるいい世の中なのかも知れない。
近ごろ都電荒川線は「東京さくらトラム」なる愛称がつけられた。これは路線の魅力を国内外にアピールしていこうという東京都交通局の意向からなのだが、この新しい名前がどうもピンとこない。そのうち慣れてしまうのかも知れないが、今のところまるであのチンチン電車のイメージが湧いてこない愛称だ。
あと都電で意外と知られていないのが、車両貸切りができるということ。子どもの遠足にはもちろん、映画やドラマの撮影、音楽会、はたまた都電ウェディング等々。貸切り車両の可能性は無限大。じゃあ、貸切ってビアガーデン(ガーデンではないけど)でも! と思ったがやはり、「車内での飲食は禁止」とのことなのだ。
さて、本日の目的地「雑司ヶ谷鬼子母神堂(ぞうしがやきしもじんどう)」へと向かう。池袋にほど近い副都心近隣にして閑静な土地柄とあって、猫たちとよく出くわす。 参道の入り口。
よく見ると雑司ヶ谷鬼子母神の「鬼」の字には、一画目の点が無い。聞けばこれが正式なのだそうで、頭に角はありませんよという意味が込められているらしい。
ここ鬼子母神大門ケヤキ並木には、江戸の頃から茶屋や料亭などが数多く並んでいたそうで、ここの参詣土産といえば昔から「ススキみみずく」が定番で、今でも商売繁盛の縁起物として親しまれている。
気持ちのいい木陰を歩いていると「雑司ヶ谷 案内処」なる、藍染の太鼓のれんが目に入る。そしてご自由にお入りくださいの文字。
こんにちは、と中へ上がらせていただく。
どうぞ、と中にいた女性お二人が弾けんばかりの笑顔で迎えてくださる。案内処のおつとめをされながら談笑の最中だったみたいだ。
中を見渡すと、ここ雑司ヶ谷界隈に関連するさまざまな書物や、土産物なんかが並んでいる。都電荒川線の立派な手作り模型や、ススキみみずくの展示もあって楽しい。
トキワ荘といえば手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫をはじめとした著名な漫画家たちが集まったアパートだが、本の表紙には【並木ハウス】という建物の前で撮られた若き日の手塚先生とある男性が親しげに肩を組んでいるモノクロ写真が使われている。この手塚先生と肩を組んでいる男性こそ著者の丸山昭さん。元講談社の編集者だ。
この本は10本以上の連載を抱えていた手塚先生の担当編集者だった頃の原稿取りの苦労話とか、漫画道を志して上京してきた若者たちを育て漫画の可能性を広げていった丸山昭さんの当時の回想録だ。「マルさん」と慕われた著者に寄せられたトキワ荘メンバーたちのコラムがあったり、1981年トキワ荘同窓会の貴重な写真なども収録されている興味深い一冊だ。
さてこの本の表紙の並木ハウス。実は今いるこの建物の裏手に現在も建っているのだ。
並木ハウスは昭和29年、手塚先生がトキワ荘の次に移り住んだアパート。
宝塚から上京した手塚先生は四谷へ下宿して、椎名町のトキワ荘へ移り、その後の仮住まいとして住んだこの並木ハウスでも、数々の名作が生み出されたんだと思うと感慨深い。もっともカンヅメ(締切りに間に合わせるため旅館などに押しこめること)にされることも多かったようなので旅館や出版社の施設なんかでも原稿書きされていたはずなのだが。
今も並木ハウスには大家さんがいて住人もいる、れっきとした現役のアパートだ。
自分の住家をジロジロと見られて気分のいい人はいないだろうと遠慮して、路地を離れたところから眺める並木ハウス。
さあ、雑司ヶ谷案内処、並木ハウスを後にして鬼子母神堂へと向かおう。
少し歩くと並木道は左に折れている。曲がると向こう正面に本殿が見えた。
このお寺は正式には「威光山 法明寺」という。境内に入ってすぐ左手の大公孫樹(おおいちょう)は樹齢700年なのだという。
高さ30メートルもあるという巨木を目の前にしただけでも、時空を超えたパワーのようなものを受け取ってしまったようなありがたい気持ちになる。
もちろん、鬼子母尊神の祀られている本殿、妙見堂、金剛不動尊を安置した法不動堂、帝釈天王の石像、六万九千三百八十四の一字一石の法華経が納められた一字一石妙経塔などの見どころ、参拝どころのある中にもう一つの見どころがある。それは、【日本で一番古い駄菓子屋さん】「上川口屋」だ。 この上川口屋は創業1781年。ジブリ映画「おもひでぽろぽろ」に登場する駄菓子屋さんのモデルにもなっている。
230年もの歴史を背負った、なんとも味のある駄菓子屋の店先を眺める。
歩いてノドが渇いたから「ラムネ」と、あと「ラーメン屋さん太郎」を買おう。
オレンジ色の「ラーメン屋さん太郎」のパッケージを見ていたら、なんだか「あしたのジョー」と「オバケのQ太郎の、ラーメン大好き小池さん」を思い出してしまった。漫画の聖地巡礼をしたからかもしれない。
最後に本殿の参拝を済ませて、法明寺を後にする。 さっきラムネを飲んでノドが潤ったはずのソトノミストだったが、ノドの渇きは治まっていなかった。むしろはっきりと別な飲み物をノドに流し込みたくなっていた。
今度はラムネ、じゃなくてチューハイ。
ここから20分位歩けば池袋。チューハイのおいしい店がある。
気がつくとチューハイ、チューハイとつぶやきながら、初夏の眩しい日差しの中をうっすら汗をかきながら池袋方面へと歩き続ける変なオジサンになっていた。
この角を曲がれば目的の店が見える。
よしこの黄色い看板だ! 到着! と同時に、虚脱!
お店の時間の事を全然考えていなかった。
といって、じゃあコンビニの缶チューハイでという気分にもなれず、今日はおとなしく帰るソトノミスト。不完全燃焼。
まあたまには、コレデイイノダ。
そういえばさっきの雑司ヶ谷案内処で買ったクリアファイル。
広重の錦絵に雑司ヶ谷があるとは知らなかった。よく見ると向こうには料亭「茗荷屋」があって、左側の母に連れられた子どもが持っている竿の先にはススキみみずくが揺れているじゃないか。
次は10月。団扇太鼓のリズムと万灯が幻想的な夜の練り供養、御会式(おえしき)でまた雑司ヶ谷へ出かけよう。