「そりゃもう41年間、一所懸命にやりましたよ!」
今日も白いコックコートに身を包んだマスターが語ってくれた。
どこにも未練など感じさせない、さっぱりとした気持ちの良い笑顔だった。
新型コロナ禍。休業要請の期間は長かった。世の中のどれだけの企業や店舗が廃業、閉店に追い込まれたのだろう。
6月1日、ようやく営業を再開した丸八(まるはち)江戸川橋店の入口には、
『やむを得ず 6月5日(金)を以て閉店させて頂きます 長い間ご愛顧賜り御礼申し上げます』
とあった。
この最後の5日間の営業は目の回るような忙しさだったそうだ。それも当然、閉店を惜しむ長年のファン、ご常連さん方が殺到して3密どころの騒ぎではなかったらしい。お客で溢れて入店できず、泣く泣く別れを告げて帰るご常連さんもいたそうだ。
閉店の翌週、うちの親父と丸八のマスターは若い頃からの付合いがあって、近所のよしみという事もあり特別に店を開けてくださった。
いつものお通しにいつもの琥珀ヱビスの生。
お通しのサザエのつぼ焼きで、グッと心を鷲づかみにされたファンも多かったことだろう。私もそんな客の一人だった。
親父に初めて連れてきてもらった時にはすっかりこの店の魅力に取り憑かれていた。
雰囲気がいい。そして何より安くてうまい。
「マスターもどう? 一杯」
と、うちの親父が誘う。
「これはこれは、有難うございます」
と、自分で生を注いで、チビリチビリと美味そうに生を飲んでいたマスター。
「お父さん、ぜったい飲みすぎないでよ~」
いつも優しく忠告するのは、看板娘のアイちゃんだ。
微笑ましい、いつものやり取り。
面倒見が良くって、明るい接客のアイちゃん。
余裕がある時は合いの手を入れてくれて、客同士の会話を滑らかにしてくれる。
絵に描いたような理想の居酒屋。まだまだ通いたかったこのお店。
でも今日で最後なのだ。正真正銘。
若い頃は、銀座の洋食店で腕を磨いたマスター。
店に通って11年が経ったころ、丸八本店の社長と運命の出会いを果たす。そして、これまでの料理の実績と店主としての適性を見込まれ、新店舗の話を持ち掛けられるのだ。
銀座の洋食店の厨房。その目まぐるしく過ぎる日々の中で、忘れかけていた独立への夢。この好機を物にしようと、マスターは道具、調理方、包丁さばきから全く異なる割烹の道へと転向することを決意。
当時、小石川のこんにゃくえんまの向かいにあった丸八本店で8か月の修行。それから丸八(江戸川橋店)を立ち上げたのは、昭和54年11月のことだった。
「とにかく弱かった」というお酒も、丸八の営業を重ねるにつれ、少しずつ飲めるようになった。
こよなく競馬を愛するマスター。毎週WINSに通って購入していたという馬券も、
「ステイホームだから、娘に設定してもらったタブレットで馬券買う練習してますよ」
と笑って話してくれた。
これからは競馬をのんびりと楽しまれるのだろう。
以下、さようなら丸八 写真ギャラリーです。
41年間お疲れさまでした。楽しい時間をありがとう!
丸八に乾杯!!
★お知らせ★
グループ店の大衆割烹 丸八(水道橋店)は、元気に営業中です。
江戸川橋店とはまた一味違ったメニューで、新鮮なお刺身、旬の食材をご用意して皆様のご来店をお待ちしております。
https://www.kapou-maruhachi.com/