日本に帰国してから12年も経つというのに、一度も全生庵へ行ったことがなかった。つくばにも、横浜にも、日本橋にも住んだことがあるというのに。
夏が来るたびに、今年こそは絶対に、日本にいるうちに、日本の夏の醍醐味だから。それなのにわたしは目をつむるようにして、いつもこの寺を「次の夏」にまわしていた。
見てしまうのが怖かったのかもしれない。かれこれ10年近くも期待を胸の奥で、誰に語るでもなく育ててきたものだから、目的を果たしてしまったら、それまで自分が集めておいた楽しみを失ってしまうのではないか。自分なりに構築してきたつもりの日本美術への理解を(といっても大したものではないのだけれど)もう一度ゼロから築きなおすことになりはしないか。そんな気持ちがわたしを全生庵から遠ざけていたのは、ほんとうだ。
全生庵、幽霊寺。
「牡丹灯籠」「真景累ヶ淵 」「死神」…数多くの名作落語を創作した三遊亭円朝(1839~1900)は、数多くの幽霊画を収集するコレクターでもあった。
全生庵に所蔵されている円朝遺愛の幽霊画コレクションは、毎年8月の1ヶ月だけ、虫干しの目的もかねて公開される。円朝旧蔵幽霊画の経緯については、昭和51年(1976)に刊行された『三遊亭円朝全集・別巻』(角川書店)に次のような説明がある。
「円朝が生前に柳橋の料亭で怪談会を催した時から、百物語に因んで蒐集した約百幅の内、五十幅が、藤浦家に残り、現当主富太郎氏によって全生庵へ供養のために寄贈されたものである」(全生庵HPより)
日暮里駅に降り立ち、墓石を横目に、ゆるやかな傾斜をのぼり、驚きと愉しみを感じていたわたしの視界に、それはゆっくりと迫ってきたのだった。その瞬間、ついに、という安堵が胸の中にじんわりと広がり、【幽霊画展二階です】の太くたくましい筆文字に案内された先に、それらはあった。
規模こそ大きくはないけれど、幕末から明治にかけての著名な画家たちの筆にこれほど近寄ることを許される機会はそうない。足のない幽霊を初めて描いたことで知られる円山応挙をはじめ、責め絵を得意とした伊藤晴雨、河鍋暁斎、柴田是真、菊池容斎、松本楓湖…とユニークな幽霊たちが高い位置からこちらを見下ろしている。
わたしの意に反してせっかちな足は狭い展示場をくるくると何周もさせて、部屋を出ることには、耳にはもう、女だか男だか分からない者のすすり泣きがはりついて、後ろ髪を引かれる思いでわたしはその場を後にしたのだった。
日暮里、そして谷中への小旅行は妹との二人道中だった。たがいに気ごころは知れていたけれど、興味の対象はそれぞれ異なっていたし、谷中を訪れたのは二度目だったから、迷子になるのも楽しいねと、後ろをついていくようにして、谷中を目指して歩いた。
不慣れな土地での時間はあっという間に過ぎるもので、途中、小さな発見に寄り道ばかりしてしまう。
ところで、ふと疑問に思い展示場の受付の、しゃんと背筋を伸ばして直立している女性に、全生庵の幽霊画はここに展示されているので全てですか、と訊ねたところ、いいえ、展示内容はいくつかの絵を除いて毎年変わります、との返事だった。
なんてこと。ということは、来年もまたここへ来る理由ができてしまった。